あぶら》そゝがむ人もがなそを黒髪にぬぐふ子もがな(寺院にて三首)

ほのぐらきわがたましひの黄昏をかすかにともる黄蝋もあり

うなだれて白夜の市をあゆむ時聖金曜の鐘のなる時

ほのかなる麝香《じやかう》の風のわれにふく紅燈集の中の国より

かりそめの涙なれどもよりそひて泣けばぞ恋のごとくかなしき

うす黄なる寝台の幕のものうくもゆらげるまゝに秋は来にけむ

薔薇よさはにほひな出でそあかつきの薄らあかりに泣く女あり

[#地付き](九・六・一四)
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客中恋


初夏の都大路の夕あかりふたゝび君とゆくよしもがな

海は今青き※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]をしばたゝき静に夜を待てるならじか

君が家の緋の房長き燈籠も今かほのかに灯しするらむ

都こそかゝる夕はしのばるれ愛宕ほてるも灯をやともすと

黒船のとほき灯にさへ若人は涙落しぬ恋の如くに

幾山河さすらふよりもかなしきは都大路をひとり行くこと

憂しや恋ろまんちつくの少年は日ねもすひとり涙流すも

かなしみは君がしめたる其宵の印度更紗《いんどさらさ》の帯よりや来し

二日月君が小指の爪よりもほのかにさすはあはれなるかな

何をかもさは歎くらむ旅人よ蜜柑畑の棚によりつゝ

ともしびも雨にぬれたる甃石《しきいし》も君送る夜はあはれふかゝり

ときすてし絽の夏帯の水あさぎなまめくまゝに夏や往にけむ

[#地付き](※[#ローマ数字VIII、1−13−28] ※[#ローマ数字XI、1−13−31] ※[#ローマ数字X、1−13−30]※[#ローマ数字IV、1−13−24])
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若人 (旋頭歌)


うら若き都人こそかなしかりけれ。失ひし夢を求むと市《まち》を歩める。

橡《マロニエ》の花もひそかにさけるならじか。夢未多かりし日を思ひ出でよと。

たはれ女のうつゝ無げにも青みたる眼か。かはたれの空に生まるゝ二日の月か。

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる。初恋のありとも見えぬ薄ら明りに。

さばかりにおもはゆげにもいらへ給ひそ。緋の房の長き団扇にかくれ給ひそ。

なつかしき人形町の二日月はも。若う人の涙を誘ふ二日月はも。

いとせめて泣くべく人を恋ひもこそすれ。黄蝋の涙おとすと燃ゆる如くに。

湯沸器《サモワル》の湯気もほのかにもの思ふらし。我友の西鶴めきし恋語りより。(Kに)


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