隅から、早速二人のまん中へ、紫檀《したん》の小机を持ち出した。そうしてその机の上へ、恭《うやうや》しそうに青磁《せいじ》の香炉《こうろ》や金襴《きんらん》の袋を並べ立てた。
「その御親戚は御幾《おいく》つですな?」
 お蓮は男の年を答えた。
「ははあ、まだ御若いな、御若い内はとかく間違いが起りたがる。手前《てまえ》のような老爺《おやじ》になっては、――」
 玄象道人はじろりとお蓮を見ると、二三度|下《げ》びた笑い声を出した。
「御生れ年も御存知かな? いや、よろしい、卯《う》の一白《いっぱく》になります。」
 老人は金襴の袋から、穴銭《あなせん》を三枚取り出した。穴銭は皆一枚ずつ、薄赤い絹に包んであった。
「私の占いは擲銭卜《てきせんぼく》と云います。擲銭卜は昔|漢《かん》の京房《けいぼう》が、始めて筮《ぜい》に代えて行ったとある。御承知でもあろうが、筮と云う物は、一爻《いっこう》に三変の次第があり、一卦《いっけ》に十八変の法があるから、容易に吉凶を判じ難い。そこはこの擲銭卜の長所でな、……」
 そう云う内に香炉からは、道人の燻《く》べた香《こう》の煙が、明《あかる》い座敷の中に上《のぼ》り始めた。

        四

 道人《どうじん》は薄赤い絹を解いて、香炉《こうろ》の煙に一枚ずつ、中の穴銭《あなせん》を燻《くん》じた後《のち》、今度は床《とこ》に懸けた軸《じく》の前へ、丁寧に円い頭を下げた。軸は狩野派《かのうは》が描《か》いたらしい、伏羲文王周公孔子《ふくぎぶんおうしゅうこうこうし》の四大聖人の画像だった。
「惟皇《これこう》たる上帝《じょうてい》、宇宙の神聖、この宝香《ほうこう》を聞いて、願《ねがわ》くは降臨を賜え。――猶予《ゆうよ》未だ決せず、疑う所は神霊に質《ただ》す。請う、皇愍《こうびん》を垂れて、速《すみやか》に吉凶を示し給え。」
 そんな祭文《さいもん》が終ってから、道人は紫檀《したん》の小机の上へ、ぱらりと三枚の穴銭を撒《ま》いた。穴銭は一枚は文字が出たが、跡の二枚は波の方だった。道人はすぐに筆を執って、巻紙にその順序を写した。
 銭《ぜに》を擲《な》げては陰陽《いんよう》を定《さだ》める、――それがちょうど六度続いた。お蓮《れん》はその穴銭の順序へ、心配そうな眼を注《そそ》いでいた。
「さて――と。」
 擲銭《てきせん》が終った時、老人は巻紙《まきがみ》を眺めたまま、しばらくはただ考えていた。
「これは雷水解《らいすいかい》と云う卦《け》でな、諸事思うようにはならぬとあります。――」
 お蓮は怯《お》ず怯《お》ず三枚の銭から、老人の顔へ視線を移した。
「まずその御親戚とかの若い方《かた》にも、二度と御遇《おあ》いにはなれそうもないな。」
 玄象道人《げんしょうどうじん》はこう云いながら、また穴銭を一枚ずつ、薄赤い絹に包み始めた。
「では生きては居りませんのでしょうか?」
 お蓮は声が震えるのを感じた。「やはりそうか」と云う気もちが、「そんな筈はない」と云う気もちと一しょに、思わず声へ出たのだった。
「生きていられるか、死んでいられるかそれはちと判じ悪《にく》いが、――とにかく御遇いにはなれぬものと御思いなさい。」
「どうしても遇えないでございましょうか?」
 お蓮に駄目《だめ》を押された道人は、金襴《きんらん》の袋の口をしめると、脂《あぶら》ぎった頬のあたりに、ちらりと皮肉らしい表情が浮んだ。
「滄桑《そうそう》の変《へん》と云う事もある。この東京が森や林にでもなったら、御遇いになれぬ事もありますまい。――とまず、卦《け》にはな、卦にはちゃんと出ています。」
 お蓮はここへ来た時よりも、一層心細い気になりながら、高い見料《けんりょう》を払った後《のち》、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》家《うち》へ帰って来た。
 その晩彼女は長火鉢の前に、ぼんやり頬杖《ほおづえ》をついたなり、鉄瓶《てつびん》の鳴る音に聞き入っていた。玄象道人の占いは、結局何の解釈をも与えてくれないのと同様だった。いや、むしろ積極的に、彼女が密《ひそ》かに抱《いだ》いていた希望、――たといいかにはかなくとも、やはり希望には違いない、万一を期する心もちを打ち砕いたのも同様だった。男は道人がほのめかせたように、実際生きていないのであろうか? そう云えば彼女が住んでいた町も、当時は物騒な最中だった。男はお蓮のいる家《うち》へ、不相変《あいかわらず》通って来る途中、何か間違いに遇ったのかも知れない。さもなければ忘れたように、ふっつり来なくなってしまったのは、――お蓮は白粉《おしろい》を刷《は》いた片頬《かたほお》に、炭火《すみび》の火照《ほて》りを感じながら、いつか火箸を弄《もてあそ》んでいる彼女自身を見出《みいだ》した
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