なひしや》を兼ねない限り、到底《たうてい》見分けなんぞはつきはしまい。現にこの間《あひだ》も何《なん》とか云ふ男の作つた贋物《がんぶつ》の書画は、作者自身も真贋を辨《べん》じなかつたと云つてゐるぢやないか。よし又それ程巧妙をを極めた贋物でないにしても鑑定家に良心のある限り、真とも贋とも決定出来ない中間色《ちうかんしよく》の書画が出て来るのは自然である。して見れば鑑定家なるものは、或種類の書画に限り、我々同様更に真贋の判別は出来ないと云つても差支《さしつかへ》ない。そこで翻《ひるがへ》つて三円の果亭《くわてい》を見ると、断じて果亭だと言明する事が出来ないにしても、同様に又断じて果亭でないとも言明する事の出来ないものである。既《すで》に然るからはこれを果亭と認めて壁間《へきかん》にぶら下げたのにしろ、毛頭《まうとう》自分の不名誉になる事ぢやない。況《いは》んや自分は唯、無名の天才に敬意を表する心算《つもり》で――
 辯じてここまで来ると、大抵《たいてい》の男は「わかつたよ、もう無名の天才は沢山《たくさん》だ」と云つた。沢山ならこれで切り上げるが、世間には自分の如く怪しげな書画を玩《もてあそ》んで無名の天才に敬意を払ふの士が存外《ぞんぐわい》多くはないかと思ふ。それらの士は、俗悪なる新画に巨万の黄金《わうごん》を抛《なげう》つて顧みない天下の富豪《ふがう》に比《くら》べると、少くとも趣味の独立してゐる点で尊敬に価《あたひ》する人々である。そこで自分は聊《いささ》かそれらの士と共に、真贋の差別に煩《わづら》はされない清興《せいきやう》の存在を主張したかつたから、ここにわざわざ以上の饒舌《ぜうせつ》を活字にする事を敢《あへ》てした。所謂《いはゆる》竹町物《たけちやうもの》を商ふ骨董屋《こつとうや》が広告に利用しなければ幸甚《かうじん》である。



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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