いていた。
「誰が轢かれたんだい?」
「踏切り番です。学校の生徒の轢かれそうになったのを助けようと思って轢かれたんです。ほら、八幡前《はちまんまえ》に永井《ながい》って本屋があるでしょう? あすこの女の子が轢かれる所だったんです。」
「その子供は助かったんだね?」
「ええ、あすこに泣いているのがそうです。」
「あすこ」というのは踏切りの向う側にいる人だかりだった。なるほど、そこには女の子が一人、巡査に何か尋《たず》ねられていた。その側には助役《じょやく》らしい男も時々巡査と話したりしていた。踏切《ふみき》り番は――保吉は踏切り番の小屋の前に菰《こも》をかけた死骸を発見した。それは嫌悪《けんお》を感じさせると同時に好奇心を感じさせるのも事実だった。菰の下からは遠目《とおめ》にも両足の靴《くつ》だけ見えるらしかった。
「死骸はあの人たちが持って行ったんです。」
こちら側のシグナルの柱の下には鉄道|工夫《こうふ》が二三人、小さい焚火《たきび》を囲《かこ》んでいた。黄いろい炎《ほのお》をあげた焚火は光も煙も放たなかった。それだけにいかにも寒そうだった。工夫の一人はその焚火に半ズボンの尻を炙《あぶ》っていた。
保吉は踏切りを通り越しにかかった。線路は停車場に近いため、何本も踏切りを横ぎっていた。彼はその線路を越える度に、踏切り番の轢《ひ》かれたのはどの線路だったろうと思い思いした。が、どの線路だったかは直《すぐ》に彼の目にも明らかになった。血はまだ一条の線路の上に二三分|前《まえ》の悲劇を語っていた。彼はほとんど、反射的に踏切の向う側へ目を移した。しかしそれは無効だった。冷やかに光った鉄の面《おもて》にどろりと赤いもののたまっている光景ははっと思う瞬間に、鮮《あざや》かに心へ焼きついてしまった。のみならずその血は線路の上から薄うすと水蒸気さえ昇《のぼ》らせていた。……
十分《じっぷん》の後《のち》、保吉は停車場のプラットフォオムに落着かない歩みをつづけていた。彼の頭は今しがた見た、気味の悪い光景に一ぱいだった。殊に血から立ち昇っている水蒸気ははっきり目についていた。彼はこの間話し合った伝熱作用のことを思い出した。血の中に宿っている生命の熱は宮本の教えた法則通り、一分一厘の狂いもなしに刻薄《こくはく》に線路へ伝わっている。そのまた生命は誰のでも好《い》い、職に殉《じゅん》
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