、――これはわたしの秘密ですから、どうかだれにもおっしゃらずにください。――わたしも実は我々の神を信ずるわけにいかないのです。しかしいつかわたしの祈祷《きとう》は、――」
 ちょうど長老のこう言った時です。突然|部屋《へや》の戸があいたと思うと、大きい雌の河童が一匹、いきなり長老へ飛びかかりました。僕らがこの雌の河童を抱きとめようとしたのはもちろんです。が、雌の河童はとっさの間《あいだ》に床《ゆか》の上へ長老を投げ倒しました。
「この爺《おやじ》め! きょうもまたわたしの財布《さいふ》から一杯やる金《かね》を盗んでいったな!」
 十分ばかりたった後《のち》、僕らは実際逃げ出さないばかりに長老夫婦をあとに残し、大寺院の玄関を下《お》りていきました。
「あれではあの長老も『生命の樹』を信じないはずですね。」
 しばらく黙って歩いた後、ラップは僕にこう言いました。が、僕は返事をするよりも思わず大寺院を振り返りました。大寺院はどんより曇った空にやはり高い塔や円屋根《まるやね》を無数の触手のように伸ばしています。なにか沙漠《さばく》の空に見える蜃気楼《しんきろう》の無気味さを漂わせたまま。……

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