ません。若い雌の河童はもちろん、その河童の両親や兄弟までいっしょになって追いかけるのです。雄の河童こそみじめです。なにしろさんざん逃げまわったあげく、運よくつかまらずにすんだとしても、二三か月は床《とこ》についてしまうのですから。僕はある時僕の家にトックの詩集を読んでいました。するとそこへ駆けこんできたのはあのラップという学生です。ラップは僕の家へ転げこむと、床《ゆか》の上へ倒れたなり、息も切れ切れにこう言うのです。
「大変《たいへん》だ! とうとう僕は抱きつかれてしまった!」
 僕はとっさに詩集を投げ出し、戸口の錠《じょう》をおろしてしまいました。しかし鍵穴《かぎあな》からのぞいてみると、硫黄《いおう》の粉末を顔に塗った、背《せい》の低い雌《めす》の河童《かっぱ》が一匹、まだ戸口にうろついているのです。ラップはその日から何週間か僕の床《とこ》の上に寝ていました。のみならずいつかラップの嘴《くちばし》はすっかり腐って落ちてしまいました。
 もっともまた時には雌の河童を一生懸命《いっしょうけんめい》に追いかける雄《おす》の河童もないではありません。しかしそれもほんとうのところは追いかけず
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