「しかし……しかし嘴《くちばし》でも腐っていなければ、……」
「それはあきらめるほかはないさ。さあ、トック君の家《うち》へでも行こう。」
「トックさんは僕を軽蔑《けいべつ》しています。僕はトックさんのように大胆に家族を捨てることができませんから。」
「じゃクラバック君の家へ行こう。」
 僕はあの音楽会以来、クラバックにも友だちになっていましたから、とにかくこの大音楽家の家へラップをつれ出すことにしました。クラバックはトックに比べれば、はるかに贅沢《ぜいたく》に暮らしています。というのは資本家のゲエルのように暮らしているという意味ではありません。ただいろいろの骨董《こっとう》を、――タナグラの人形やペルシアの陶器を部屋《へや》いっぱいに並べた中にトルコ風の長椅子《ながいす》を据《す》え、クラバック自身の肖像画の下にいつも子どもたちと遊んでいるのです。が、きょうはどうしたのか両腕を胸へ組んだまま、苦い顔をしてすわっていました。のみならずそのまた足もとには紙屑《かみくず》が一面に散らばっていました。ラップも詩人トックといっしょにたびたびクラバックには会っているはずです。しかしこの容子《ようす》に恐れたとみえ、きょうは丁寧《ていねい》にお時宜《じぎ》をしたなり、黙って部屋の隅《すみ》に腰をおろしました。
「どうしたね? クラバック君。」
 僕はほとんど挨拶《あいさつ》の代わりにこう大音楽家へ問いかけました。
「どうするものか? 批評家の阿呆《あほう》め! 僕の抒情《じょじょう》詩はトックの抒情詩と比べものにならないと言やがるんだ。」
「しかし君は音楽家だし、……」
「それだけならば我慢《がまん》もできる。僕はロックに比べれば、音楽家の名に価しないと言やがるじゃないか?」
 ロックというのはクラバックとたびたび比べられる音楽家です。が、あいにく超人|倶楽部《クラブ》の会員になっていない関係上、僕は一度も話したことはありません。もっとも嘴の反《そ》り上がった、一癖《ひとくせ》あるらしい顔だけはたびたび写真でも見かけていました。
「ロックも天才には違いない。しかしロックの音楽は君の音楽にあふれている近代的情熱を持っていない。」
「君はほんとうにそう思うか?」
「そう思うとも。」
 するとクラバックは立ち上がるが早いか、タナグラの人形をひっつかみ、いきなり床《ゆか》の上にたたきつけ
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