にはいられないように雌の河童が仕向けるのです。僕はやはり気違いのように雌の河童を追いかけている雄の河童も見かけました。雌の河童は逃げてゆくうちにも、時々わざと立ち止まってみたり、四《よ》つん這《ば》いになったりして見せるのです。おまけにちょうどいい時分になると、さもがっかりしたように楽々とつかませてしまうのです。僕の見かけた雄の河童は雌の河童を抱いたなり、しばらくそこに転《ころ》がっていました。が、やっと起き上がったのを見ると、失望というか、後悔というか、とにかくなんとも形容できない、気の毒な顔をしていました。しかしそれはまだいいのです。これも僕の見かけた中に小さい雄の河童が一匹、雌の河童を追いかけていました。雌の河童は例のとおり、誘惑的|遁走《とんそう》をしているのです。するとそこへ向こうの街《まち》から大きい雄の河童が一匹、鼻息を鳴らせて歩いてきました。雌の河童はなにかの拍子にふとこの雄の河童を見ると「大変《たいへん》です! 助けてください! あの河童はわたしを殺そうとするのです!」と金切《かなき》り声を出して叫びました。もちろん大きい雄の河童はたちまち小さい河童をつかまえ、往来のまん中へねじ伏せました。小さい河童は水掻《みずか》きのある手に二三度|空《くう》をつかんだなり、とうとう死んでしまいました。けれどももうその時には雌の河童はにやにやしながら、大きい河童の頸《くび》っ玉へしっかりしがみついてしまっていたのです。
僕の知っていた雄《おす》の河童《かっぱ》はだれも皆言い合わせたように雌《めす》の河童に追いかけられました。もちろん妻子を持っているバッグでもやはり追いかけられたのです。のみならず二三度はつかまったのです。ただマッグという哲学者だけは(これはあのトックという詩人の隣にいる河童です。)一度もつかまったことはありません。これは一つにはマッグぐらい、醜い河童も少ないためでしょう。しかしまた一つにはマッグだけはあまり往来へ顔を出さずに家《うち》にばかりいるためです。僕はこのマッグの家へも時々話しに出かけました。マッグはいつも薄暗《うすぐら》い部屋《へや》に七色《なないろ》の色硝子《いろガラス》のランタアンをともし、脚《あし》の高い机に向かいながら、厚い本ばかり読んでいるのです。僕はある時こういうマッグと河童の恋愛を論じ合いました。
「なぜ政府は雌の河童が
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