減を!」と吐き出すように言いました。窓の外の往来にはまだ年の若い河童が一匹、両親らしい河童をはじめ、七八匹の雌雄《めすおす》の河童を頸《くび》のまわりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いていました。しかし僕は年の若い河童の犠牲的精神に感心しましたから、かえってその健気《けなげ》さをほめ立てました。
「ふん、君はこの国でも市民になる資格を持っている。……時に君は社会主義者かね?」
僕はもちろん qua(これは河童の使う言葉では「然《しか》り」という意味を現わすのです。)と答えました。
「では百人の凡人のために甘んじてひとりの天才を犠牲にすることも顧みないはずだ。」
「では君は何主義者だ? だれかトック君の信条は無政府主義だと言っていたが、……」
「僕か? 僕は超人(直訳すれば超河童です。)だ。」
トックは昂然《こうぜん》と言い放ちました。こういうトックは芸術の上にも独特な考えを持っています。トックの信ずるところによれば、芸術は何ものの支配をも受けない、芸術のための芸術である、従って芸術家たるものは何よりも先に善悪を絶《ぜっ》した超人でなければならぬというのです。もっともこれは必ずしもトック一匹の意見ではありません。トックの仲間の詩人たちはたいてい同意見を持っているようです。現に僕はトックといっしょにたびたび超人|倶楽部《クラブ》へ遊びにゆきました。超人倶楽部に集まってくるのは詩人、小説家、戯曲家、批評家、画家、音楽家、彫刻家、芸術上の素人《しろうと》等です。しかしいずれも超人です。彼らは電燈の明るいサロンにいつも快活に話し合っていました。のみならず時には得々《とくとく》と彼らの超人ぶりを示し合っていました。たとえばある彫刻家などは大きい鬼羊歯《おにしだ》の鉢植《はちう》えの間に年の若い河童《かっぱ》をつかまえながら、しきりに男色《だんしょく》をもてあそんでいました。またある雌《めす》の小説家などはテエブルの上に立ち上がったなり、アブサントを六十本飲んで見せました。もっともこれは六十本目にテエブルの下へ転《ころ》げ落ちるが早いか、たちまち往生してしまいましたが。
僕はある月のいい晩、詩人のトックと肘《ひじ》を組んだまま、超人倶楽部から帰ってきました。トックはいつになく沈みこんでひとことも口をきかずにいました。そのうちに僕らは火《ほ》かげのさした、小さい窓の前を通り
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