したから、或時又ペツプやチヤツクとゲエル家の晩餐に招かれた機会にこのことをなぜかと尋ねて見ました。
「それはみんな食つてしまふのですよ。」
食後の葉巻を啣へたゲエルは如何にも無造作にかう言ひました。しかし「食つてしまふ」と云ふのは何のことだかわかりません。すると鼻眼金をかけたチヤツクは僕の不審を察したと見え、横あひから説明を加へてくれました。
「その職工をみんな殺してしまつて、肉を食料に使ふのです。ここにある新聞を御覧なさい。今月は丁度六万四千七百六十九匹の職工が解雇されましたから、それだけ肉の値段も下つた訣ですよ。」
「職工は黙つて殺されるのですか?」
「それは騒いでも仕かたはありません。職工屠殺法があるのですから。」
これは山桃の鉢植ゑを後に苦い顔をしてゐたペツプの言葉です。僕は勿論不快を感じました。しかし主人公のゲエルは勿論、ペツプやチヤツクもそんなことは当然と思つてゐるらしいのです。現にチヤツクは笑ひながら、嘲るやうに僕に話しかけました。
「つまり餓死したり自殺したりする手数を国家的に省略してやるのですね。ちよつと有毒瓦斯を嗅がせるだけですから、大した苦痛はありませんよ。」
「けれどもその肉を食ふと云ふのは、…………」
「常談を言つてはいけません。あのマツグに聞かせたら、さぞ大笑ひに笑ふでせう。あなたの国でも第四階級の娘たちは売笑婦になつてゐるではありませんか? 職工の肉を食ふことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ。」
かう云ふ問答を聞いてゐたゲエルは手近いテエブルの上にあつたサンド・ウイツチの皿を勧めながら、恬然《てんぜん》と僕にかう言ひました。
「どうです? 一つとりませんか? これも職工の肉ですがね。」
僕は勿論辟易しました。いや、そればかりではありません。ペツプやチヤツクの笑ひ声を後にゲエル家の客間を飛び出しました。それは丁度家々の空に星明りも見えない荒れ模様の夜です。僕はその闇の中を僕の住居へ帰りながら、のべつ幕なしに嘔吐《へど》を吐きました。夜目にも白じらと流れる嘔吐を。
[#7字下げ]九[#「九」は中見出し]
しかし硝子会社の社長のゲエルは人懐こい河童だつたのに違ひありません。僕は度たびゲエルと一しよにゲエルの属してゐる倶楽部へ行き、愉快に一晩を暮らしました。それは一つにはその倶楽部はトツクの属してゐる超人倶楽部よりも遥かに居心の善かつた為です。のみならず又ゲエルの話は哲学者のマツグの話のやうに深みを持つてゐなかつたにせよ、僕には全然新らしい世界を、――広い世界を覗かせました。ゲエルは、いつもの純金の匙に珈琲《カツフエ》の茶碗をかきまはしながら、快活にいろいろの話をしたものです。
何でも或霧の深い晩、僕は冬薔薇を盛つた花瓶を中にゲエルの話を聞いてゐました。それは確か部屋全体は勿論、椅子やテエブルも白い上に細い金の縁をとつたセセツシヨン風の部屋だつたやうに覚えてゐます。ゲエルはふだんよりも得意さうに顔中に微笑を漲《みなぎ》らせたまま、丁度その頃天下を取つてゐた Quorax 党内閣のことなどを話しました。クオラツクスと云ふ言葉は唯意味のない間投詞ですから、「おや」とでも訳す外はありません。が、兎に角何よりも先に「河童全体の利益」と云ふことを標榜してゐた政党だつたのです。
「クオラツクス党を支配してゐるものは名高い政治家のロツペです。『正直は最良の外交である』とはビスマルクの言つた言葉でせう。しかしロツペは正直を内治の上にも及ぼしてゐるのです。……」
「けれどもロツペの演説は……」
「まあ、わたしの言ふことをお聞きなさい。あの演説は勿論悉く※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]です。が、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]と云ふことは誰でも知つてゐますから、畢竟《ひつきやう》正直と変らないでせう、それを一概に※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]と云ふのはあなたがただけの偏見ですよ。我々河童はあなたがたのやうに、……しかしそれはどうでもよろしい。わたしの話したいのはロツペのことです。ロツペはクオラツクス党を支配してゐる、その又ロツペを支配してゐるものは Pou−Fou 新聞の(この『プウ・フウ』と云ふ言葉もやはり意味のない間投詞です。若し強いて訳すれば、『ああ』とでも云ふ外はありません。)社長のクイクイです。が、クイクイも彼自身の主人と云ふ訣には行きません。クイクイを支配してゐるものはあなたの前にゐるゲエルです。」
「けれども――これは失礼かも知れませんけれども、プウ・フウ新聞は労働者の味かたをする新聞でせう。その社長のクイクイもあなたの支配を受けてゐると云ふのは、……」
「プウ・フウ新聞の記者たちは勿論労働者の味かたです。しかし記者たちを支配するもの
前へ
次へ
全20ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング