暫くたつてから、バツグの細君のお産をする所をバツグの小屋へ見物に行きました。河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してかう言ひました。それからテエブルの上にあつた消毒用の水薬で嗽《うが》ひをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしてゐると見え、かう小声に返事をしました。
「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」
 バツグはこの返事を聞いた時、てれたやうに頭を掻いてゐました。が、そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を抜いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。
 かう云ふ返事をする位ですから、河童の子供は生れるが早いか、勿論歩いたりしやべつたりするのです。何でもチヤツクの話では出産後二十六日目に神の有無に就いて講演をした子供もあつたとか云ふことです。尤もその子供は二月目には死んでしまつたと云ふことですが。
 お産の話をした次手ですから、僕がこの国へ来た三月目に偶然或街の角で見かけた、大きいポスタアの話をしませう。その大きいポスタアの下には喇叭を吹いてゐる河童だの剣を持つてゐる河童だのが十二三匹描いてありました。それから又上には河童の使ふ、丁度時計のゼンマイに似た螺旋文字《らせんもじ》が一面に並べてありました。この螺旋文字を翻訳すると、大体かう云ふ意味になるのです。これも或は細かい所は間違つてゐるかも知れません。が、兎に角僕としては僕と一しよに歩いてゐた、ラツプと云ふ河童の学生が大声に読み上げてくれる言葉を一々ノオトにとつて置いたのです。

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遺伝的義勇隊を募る※[#感嘆符三つ、113−1]
健全なる男女の河童よ※[#感嘆符三つ、113−2]
悪遺伝を撲滅する為に
不健全なる男女の河童と結婚せよ※[#感嘆符三つ、113−4]
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 僕は勿論その時にもそんなことの行はれないことをラツプに話して聞かせました。するとラツプばかりではない、ポスタアの近所にゐた河童は悉《ことごと》くげらげら笑ひ出しました。
「行はれない? だつてあなたの話ではあなたがたもやはり我々のやうに行つてゐると思ひますがね。あなたは令息が女中に惚れたり、令嬢が運転手に惚れたりするのは何の為だと思つてゐるのです? あれは皆無意識的に悪遺伝を撲滅してゐるのですよ。第一この間あなたの話したあなたがた人間の義勇隊よりも、――一本の鉄道を奪ふ為に互に殺し合ふ義勇隊ですね、――ああ云ふ義勇隊に比べれば、ずつと僕たちの義勇隊は高尚ではないかと思ひますがね。」
 ラツプは真面目にかう言ひながら、しかも太い腹だけは可笑しさうに絶えず浪立たせてゐました。が、僕は笑ふどころか、慌てて或河童を掴《つか》まへようとしました。それは僕の油断を見すまし、その河童が僕の万年筆を盗んだことに気がついたからです。しかし皮膚の滑かな河童は容易に我々には掴まりません。その河童もぬらりと辷り抜けるが早いか一散に逃げ出してしまひました。丁度蚊のやうに痩せた体を倒れるかと思ふ位のめらせながら。

[#7字下げ]五[#「五」は中見出し]

 僕はこのラツプと云ふ河童にバツグにも劣らぬ世話になりました。が、その中でも忘れられないのはトツクと云ふ河童に紹介されたことです。トツクは河童仲間の詩人です。詩人が髪を長くしてゐることは我々人間と変りません。僕は時々トツクの家へ退屈|凌《しの》ぎに遊びに行きました。トツクはいつも狭い部屋に高山植物の鉢植ゑを並べ、詩を書いたり煙草をのんだり、如何にも気楽さうに暮らしてゐました。その又部屋の隅には雌の河童が一匹、(トツクは自由恋愛家ですから、細君と云ふものは持たないのです。)編み物か何かをしてゐました。トツクは僕の顔を見ると、いつも微笑してかう言ふのです。(尤も河童の微笑するのは余り好いものではありません。少くとも僕は最初のうちは寧ろ無気味に感じたものです。)
「やあ、よく来たね。まあ、その椅子にかけ給へ。」
 トツクはよく河童の生活だの河童の芸術だのの話をしました。トツクの信ずる所によれば、当り前の河童の生活位、莫迦げてゐるものはありません。親子夫婦兄弟などと云ふのは悉《ことごと》く互に苦し
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