と雖《いへど》も、該《がい》犯罪を行はしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を処罰することを得ず』つまりあなたの場合で言へば、その河童は嘗ては親だつたのですが、今はもう親ではありませんから、犯罪も自然と消滅するのです。」
「それはどうも不合理ですね。」
「常談を言つてはいけません。親だつた[#「だつた」に傍点]河童も親である[#「である」に傍点]河童も同一に見るのこそ不合理です。さうさう、日本の法律では同一に見ることになつてゐるのですね。それはどうも我々には滑稽です。ふふふふふ、ふふふふふ。」
ペツプは巻煙草を抛り出しながら、気のない薄笑ひを洩らしてゐました。そこへ口を出したのは法律には縁の遠いチヤツクです。チヤツクはちよつと鼻眼金を直し、かう僕に質問しました。
「日本にも死刑はありますか?」
「ありますとも。日本では絞罪です。」
僕は冷然と構えこんだペツプに多少反感を感じてゐましたから、この機会に皮肉を浴せてやりました。
「この国の死刑は日本よりも文明的に出来てゐるでせうね?」
「それは勿論文明的です。」
ペツプはやはり落ち着いてゐました。
「この国では絞罪などは用ひません。稀には電気を用ひることもあります。しかし大抵は電気も用ひません。唯その犯罪の名を言つて聞かせるだけです。」
「それだけで河童は死ぬのですか?」
「死にますとも。我々河童の神経作用はあなたがたのよりも微妙ですからね。」
「それは死刑ばかりではありません。殺人にもその手を使ふのがあります。――」
社長のゲエルは色硝子の光に顔中紫に染りながら、人懐つこい笑顔をして見せました。
「わたしはこの間も或社会主義者に『貴様は盗人だ』と言はれた為に心臓痲痺を起しかかつたものです。」
「それは案外多いやうですね。わたしの知つてゐた或弁護士などはやはりその為に死んでしまつたのですからね。」
僕はかう口を入れた河童、――哲学者のマツグをふりかへりました。マツグはやはりいつものやうに皮肉な微笑を浮かべたまま、誰の顔も見ずにしやべつてゐるのです。
「その河童は誰かに蛙だと言はれ、――勿論あなたも御承知でせう、この国で蛙だと言はれるのは人非人と云ふ意味になること位は。――己は蛙かな? 蛙ではないかな? と毎日考へてゐるうちにとうとう死んでしまつたものです。」
「それはつまり自殺ですね。」
「尤もその河童を蛙だと言
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