ぎをした。
* * *
牛商人は、うつかり、悪魔の手にのつたのを、後悔した。このままで行けば、結局、あの「ぢやぼ」につかまつて、体も魂も、「亡《ほろ》ぶることなき猛火《みやうくわ》」に、焼かれなければ、ならない。それでは、今までの宗旨をすてて、波宇寸低茂《はうすちも》をうけた甲斐が、なくなつてしまふ。
が、御主《おんあるじ》耶蘇基督《エス・クリスト》の名で、誓つた以上、一度した約束は、破る事が出来ない。勿論、フランシス上人でも、ゐたのなら、またどうにかなる所だが、生憎《あいにく》、それも今は留守である。そこで、彼は、三日の間、夜の眼もねずに、悪魔の巧みの裏をかく手だてを考へた。それには、どうしても、あの植物の名を、知るより外に、仕方がない。しかし、フランシス上人でさへ、知らない名を、どこに知つてゐるものが、ゐるであらう。……
牛商人は、とうとう、約束の期限の切れる晩に、又あの黄牛《あめうし》をひつぱつて、そつと、伊留満の住んでゐる家の側へ、忍んで行つた。家は畑とならんで、往来に向つてゐる。行つて見ると、もう伊留満も寝しづまつたと見えて、窓からもる灯さへない。丁度、月はあるが、ぼんやりと曇つた夜で、ひつそりした畑のそこここには、あの紫の花が、心ぼそくうす暗い中に、ほのめいてゐる。元来、牛商人は、覚束《おぼつか》ないながら、一策を思ひついて、やつとここまで、忍んで来たのであるが、このしんとした景色を見ると、何となく恐しくなつて、いつそ、このまま帰つてしまはうかと云ふ気にもなつた。殊に、あの戸の後では、山羊のやうな角のある先生が、因辺留濃《いんへるの》の夢でも見てゐるのだと思ふと、折角、はりつめた勇気も、意気地なく、くじけてしまふ。が、体と魂とを、「ぢやぼ」の手に、渡す事を思へば、勿論、弱い音《ね》なぞを吐いてゐるべき場合ではない。
そこで、牛商人は、毘留善麻利耶《びるぜんまりや》の加護を願ひながら、思ひ切つて、予《あらかじめ》、もくろんで置いた計画を、実行した。計画と云ふのは、別でもない。――ひいて来た黄牛の綱《はづな》を解いて、尻をつよく打ちながら、例の畑へ勢よく追ひこんでやつたのである。
牛は、打たれた尻の痛さに、跳ね上りながら、柵を破つて、畑をふみ荒らした。角を家の板目《はめ》につきかけた事も、一度や二度ではない。その上、蹄《ひづめ》の音と、鳴く声とは、うすい夜の霧をうごかして、ものものしく、四方《あたり》に響き渡つた。すると、窓の戸をあけて、顔を出したものがある。暗いので、顔はわからないが、伊留満に化けた悪魔には、相違ない。気のせゐか、頭の角は、夜目ながら、はつきり見えた。
――この畜生、何だつて、己《おれ》の煙草畑を荒らすのだ。
悪魔は、手をふりながら、睡《ね》むさうな声で、かう怒鳴つた。寝入りばなの邪魔をされたのが、よくよく癪《しやく》にさはつたらしい。
が、畑の後へかくれて、容子《ようす》を窺《うかが》つてゐた牛商人の耳へは、悪魔のこの語《ことば》が、泥烏須《でうす》の声のやうに、響いた。……
――この畜生、何だつて、己の煙草畑を荒らすのだ。
* * *
それから、先の事は、あらゆるこの種類の話のやうに、至極、円満に完《をは》つてゐる。即《すなはち》、牛商人は、首尾よく、煙草と云ふ名を、云ひあてて、悪魔に鼻をあかさせた。さうして、その畑にはえてゐる煙草を、悉く自分のものにした。と云ふやうな次第である。
が、自分は、昔からこの伝説に、より深い意味がありはしないかと思つてゐる。何故と云へば、悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにする事は出来なかつたが、その代《かはり》に、煙草は、洽《あまね》く日本全国に、普及させる事が出来た。して見ると牛商人の救抜《きうばつ》が、一面堕落を伴つてゐるやうに、悪魔の失敗も、一面成功を伴つてゐはしないだらうか。悪魔は、ころんでも、ただは起きない。誘惑に勝つたと思ふ時にも、人間は存外、負けてゐる事がありはしないだらうか。
それから序《ついで》に、悪魔のなり行きを、簡単に、書いて置かう。彼は、フランシス上人が、帰つて来ると共に、神聖なペンタグラマの威力によつて、とうとう、その土地から、逐払《おひはら》はれた。が、その後も、やはり伊留満のなりをして、方々をさまよつて、歩いたものらしい。或記録によると、彼は、南蛮寺の建立《こんりふ》前後、京都にも、屡々《しばしば》出没したさうである。松永|弾正《だんじやう》を飜弄《ほんろう》した例の果心居士《くわしんこじ》と云ふ男は、この悪魔だと云ふ説もあるが、これはラフカデイオ・ヘルン先生が書いてゐるから、ここには、御免を蒙《かうむ》る事にしよう。それから、豊臣徳川両氏の外教禁遏《ぐわいけうきんあつ》に会つて、始の中こそ、まだ、姿を現はしてゐたが、とうとう、しまひには、完《まつた》く日本にゐなくなつた。――記録は、大体ここまでしか、悪魔の消息を語つてゐない。唯、明治以後、再《ふたたび》、渡来した彼の動静を知る事が出来ないのは、返へす返へすも、遺憾《ゐかん》である。……
[#地から2字上げ](大正五年十月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:吉田亜津美
1998年9月11日公開
2004年3月11日修正
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