「ええ、悪い煙草だ。煙管ごのみが、聞いてあきれるぜ。」
 了哲は慌てて、煙草入れをしまった。
「なに、金無垢《きんむく》の煙管なら、それでも、ちょいとのめようと云うものさ。」
「ふんまた煙管か。」と繰返して、「そんなに金無垢が有難けりゃ何故お煙管拝領と出かけねえんだ。」
「お煙管拝領?」
「そうよ。」
 さすがに、了哲も相手の傍若無人《ぼうじゃくぶじん》なのにあきれたらしい。
「いくらお前、わしが欲ばりでも、……せめて、銀ででもあれば、格別さ。……とにかく、金無垢だぜ。あの煙管は。」
「知れた事よ。金無垢ならばこそ、貰うんだ。真鍮《しんちゅう》の駄六《だろく》を拝領に出る奴がどこにある。」
「だが、そいつは少し恐れだて。」
了哲はきれいに剃《そ》った頭を一つたたいて恐縮したような身ぶりをした。
「手前が貰わざ、己《おれ》が貰う。いいか、あとで羨《うらやま》しがるなよ。」
 河内山はこう云って、煙管をはたきながら肩をゆすって、せせら笑った。

        三

 それから間もなくの事である。
 斉広《なりひろ》がいつものように、殿中《でんちゅう》の一間で煙草をくゆらせていると、西王母《せいおうぼ》を描いた金襖《きんぶすま》が、静に開《あ》いて、黒手《くろで》の黄八丈《きはちじょう》に、黒の紋附《もんつき》の羽織を着た坊主が一人、恭《うやうや》しく、彼の前へ這って出た。顔を上げずにいるので、誰だかまだわからない。――斉広は、何か用が出来たのかと思ったので、煙管《きせる》をはたきながら、寛濶《かんかつ》に声をかけた。
「何用じゃ。」
「ええ、宗俊《そうしゅん》御願がございまする。」
 河内山《こうちやま》はこう云って、ちょいと言葉を切った。それから、次の語を云っている中に、だんだん頭《かしら》を上げて、しまいには、じっと斉広の顔を見つめ出した。こう云う種類の人間のみが持って居る、一種の愛嬌《あいきょう》をたたえながら、蛇が物を狙うような眼で見つめたのである。
「別儀でもございませんが、その御手許にございまする御煙管を、手前、拝領致しとうございまする。」
 斉広は思わず手にしていた煙管を見た。その視線が、煙管へ落ちたのと、河内山が追いかけるように、語を次いだのとが、ほとんど同時である。
「如何《いかが》でございましょう。拝領仰せつけられましょうか。」
 宗俊の語の中《うち》にあるものは懇請の情ばかりではない、お坊主《ぼうず》と云う階級があらゆる大名に対して持っている、威嚇《いかく》の意も籠《こも》っている。煩雑な典故《てんこ》を尚《とうと》んだ、殿中では、天下の侯伯も、お坊主の指導に従わなければならない。斉広には一方にそう云う弱みがあった。それからまた一方には体面上|卑吝《ひりん》の名を取りたくないと云う心もちがある。しかも、彼にとって金無垢の煙管そのものは、決して得難い品ではない。――この二つの動機が一つになった時、彼の手は自《おのずか》ら、その煙管を、河内山の前へさし出した。
「おお、とらす。持ってまいれ。」
「有難うございまする。」
 宗俊は、金無垢の煙管をうけとると、恭しく押頂《おしいただ》いて、そこそこ、また西王母の襖《ふすま》の向うへ、ひき下った。すると、ひき下る拍子に、後《うしろ》から袖を引いたものがある。ふりかえると、そこには、了哲《りょうてつ》が、うすいも[#「うすいも」に傍点]のある顔をにやつかせながら、彼の掌《てのひら》の上にある金無垢の煙管をもの欲しそうに、指さしていた。
「こう、見や。」
 河内山は、小声でこう云って、煙管の雁首《がんくび》を、了哲の鼻の先へ、持って行った。
「とうとう、せしめたな。」
「だから、云わねえ事じゃねえ。今になって、羨《うらや》ましがったって、後《あと》の祭だ。」
「今度は、私《わし》も拝領と出かけよう。」
「へん、御勝手《ごかって》になせえましだ。」
 河内山は、ちょいと煙管の目方をひいて見て、それから、襖ごしに斉広の方を一瞥《いちべつ》しながら、また、肩をゆすってせせら笑った。

        四

 では、煙管《きせる》をまき上げられた斉広《なりひろ》の方は、不快に感じたかと云うと、必しもそうではない。それは、彼が、下城《げじょう》をする際に、いつになく機嫌《きげん》のよさそうな顔をしているので、供《とも》の侍たちが、不思議に思ったと云うのでも、知れるのである。
 彼は、むしろ、宗俊に煙管をやった事に、一種の満足を感じていた。あるいは、煙管を持っている時よりも、その満足の度は、大きかったかも知れない。しかしこれは至極当然な話である。何故と云えば、彼が煙管を得意にするのは、前にも断《ことわ》ったように、煙管そのものを、愛翫《あいがん》するからではない。実は、煙管の形をして
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