が、八朔《はっさく》の登城の節か何かに、一本貰って、嬉しがっていた時なぞは、持前の癇高《かんだか》い声で、頭から「莫迦《ばか》め」をあびせかけたほどである。彼は決して銀の煙管が欲しくない訳ではない。が、ほかの坊主共と一しょになって、同じ煙管の跡を、追いかけて歩くには、余りに、「金箔《きんぱく》」がつきすぎている。その高慢と欲との鬩《せめ》ぎあうのに苦しめられた彼は、今に見ろ、己《おれ》が鼻を明かしてやるから――と云う気で、何気ない体《てい》を装いながら、油断なく、斉広の煙管へ眼をつけていた。
 すると、ある日、彼は、斉広が、以前のような金無垢の煙管で悠々と煙草をくゆらしているのに、気がついた。が、坊主仲間では誰も貰いに行くものがないらしい。そこで彼は折から通りかかった了哲をよびとめて、そっと顋《あご》で斉広の方を教えながら囁《ささや》いた。
「また金無垢になったじゃねえか。」
 了哲はそれを聞くと、呆《あき》れたような顔をして、宗俊を見た。
「いい加減に欲ばるがいい。銀の煙管でさえ、あの通りねだられるのに、何で金無垢の煙管なんぞ持って来るものか。」
「じゃあれは何だ。」
「真鍮だろうさ。」
 宗俊は肩をゆすった。四方《あたり》を憚《はばか》って笑い声を立てなかったのである。
「よし、真鍮なら、真鍮にして置け。己《おれ》が拝領と出てやるから。」
「どうして、また、金だと云うのだい。」了哲の自信は、怪しくなったらしい。
「手前たちの思惑《おもわく》は先様《さきさま》御承知でよ。真鍮と見せて、実は金無垢を持って来たんだ。第一、百万石の殿様が、真鍮の煙管を黙って持っている筈がねえ。」
 宗俊は、口早にこう云って、独り、斉広の方へやって行った。あっけにとられた了哲を、例の西王母《せいおうぼ》の金襖の前に残しながら。
 それから、半時《はんとき》ばかり後《のち》である。了哲は、また畳廊下《たたみろうか》で、河内山に出っくわした。
「どうしたい、宗俊、一件は。」
「一件た何だ。」
 了哲は、下唇をつき出しながら、じろじろ宗俊の顔を見て、
「とぼけなさんな。煙管の事さ。」
「うん、煙管か。煙管なら、手前にくれてやらあ。」
 河内山は懐から、黄いろく光る煙管を出したかと思うと、了哲の顔へ抛《ほう》りつけて、足早に行ってしまった。
 了哲は、ぶつけられた所をさすりながら、こぼしこぼし、下に落ちた煙管を手にとった。見ると剣梅鉢《けんうめばち》の紋ぢらしの数寄《すき》を凝《こ》らした、――真鍮の煙管である。彼は忌々《いまいま》しそうに、それを、また、畳の上へ抛り出すと、白足袋《しろたび》の足を上げて、この上を大仰《おおぎょう》に踏みつける真似をした。……

        八

 それ以来、坊主が斉広《なりひろ》の煙管《きせる》をねだる事は、ぱったり跡を絶ってしまった。何故と云えば、斉広の持っている煙管は真鍮だと云う事が、宗俊と了哲とによって、一同に証明されたからである。
 そこで、一時、真鍮の煙管を金と偽《いつわ》って、斉広を欺《あざむ》いた三人の忠臣は、評議の末再び、住吉屋七兵衛に命じて、金無垢の煙管を調製させた。前に河内山にとられたのと寸分もちがわない、剣梅鉢の紋ぢらしの煙管である。――斉広はこの煙管を持って内心、坊主共にねだられる事を予期しながら、揚々として登城した。
 すると、誰一人、拝領を願いに出るものがない。前に同じ金無垢の煙管を二本までねだった河内山さえ、じろりと一瞥を与えたなり、小腰をかがめて行ってしまった。同席の大名は、勿論拝見したいとも何とも云わずに、黙っている。斉広には、それが不思議であった。
 いや、不思議だったばかりではない。しまいには、それが何となく不安になった。そこで彼はまた河内山の来かかったのを見た時に、今度はこっちから声をかけた。
「宗俊、煙管をとらそうか。」
「いえ、難有《ありがと》うございますが、手前はもう、以前に頂いて居りまする。」
 宗俊は、斉広が飜弄《ほんろう》するとでも思ったのであろう。丁寧な語の中《うち》に、鋭い口気《こうき》を籠めてこう云った。
 斉広はこれを聞くと、不快そうに、顔をくもらせた。長崎煙草の味も今では、口にあわない。急に今まで感じていた、百万石の勢力が、この金無垢の煙管の先から出る煙の如く、多愛《たわい》なく消えてゆくような気がしたからである。……
 古老《ころう》の伝える所によると、前田家では斉広以後、斉泰《なりやす》も、慶寧《よしやす》も、煙管は皆真鍮のものを用いたそうである、事によると、これは、金無垢の煙管に懲《こ》りた斉広が、子孫に遺誡《いかい》でも垂れた結果かも知れない。
[#地から1字上げ](大正五年十月)



底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   198
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング