ず肚胸《とむね》をついたそうでございます。
「物にもよりますが、こんな財物《たから》を持っているからは、もう疑《うたがい》はございませぬ。引剥《ひはぎ》でなければ、物盗《ものと》りでございます。――そう思うと、今まではただ、さびしいだけだったのが、急に、怖いのも手伝って、何だか片時《かたとき》もこうしては、いられないような気になりました。何さま、悪く放免《ほうめん》の手にでもかかろうものなら、どんな目に遭《あ》うかも知れませぬ。
「そこで、逃げ場をさがす気で、急いで戸口の方へ引返そうと致しますと、誰だか、皮匣《かわご》の後《うしろ》から、しわがれた声で呼びとめました。何しろ、人はいないとばかり思っていた所でございますから、驚いたの驚かないのじゃございませぬ。見ると、人間とも海鼠《なまこ》ともつかないようなものが、砂金の袋を積んだ中に、円《まる》くなって、坐って居ります。――これが目くされの、皺《しわ》だらけの、腰のまがった、背の低い、六十ばかりの尼法師《あまほうし》でございました。しかも娘の思惑《おもわく》を知ってか知らないでか、膝《ひざ》で前へのり出しながら、見かけによらない猫撫声《ねこなでごえ》で、初対面の挨拶《あいさつ》をするのでございます。
「こっちは、それ所の騒《さわ》ぎではないのでございますが、何しろ逃げようと云う巧《たく》みをけどられなどしては大変だと思ったので、しぶしぶ皮匣《かわご》の上に肘《ひじ》をつきながら心にもない世間話をはじめました。どうも話の容子《ようす》では、この婆さんが、今まであの男の炊女《みずし》か何かつとめていたらしいのでございます。が、男の商売の事になると、妙に一口も話しませぬ。それさえ、娘の方では、気になるのに、その尼《あま》がまた、少し耳が遠いと来ているものでございますから、一つ話を何度となく、云い直したり聞き直したりするので、こっちはもう泣き出したいほど、気がじれます。――
「そんな事が、かれこれ午《ひる》までつづいたでございましょう。すると、やれ清水の桜が咲いたの、やれ五条の橋普請《はしぶしん》が出来たのと云っている中《うち》に、幸い、年の加減《かげん》か、この婆さんが、そろそろ居睡《いねむ》りをはじめました。一つは娘の返答が、はかばかしくなかったせいもあるのでございましょう。そこで、娘は、折を計って、相手の寝息を窺《うかが》いながら、そっと入口まで這《は》って行って、戸を細目にあけて見ました。外にも、いい案配に、人のけはいはございませぬ。――
「ここでそのまま、逃げ出してしまえば、何事もなかったのでございますが、ふと今朝《けさ》貰った綾と絹との事を思い出したので、それを取りに、またそっと皮匣《かわご》の所まで帰って参りました。すると、どうした拍子か、砂金の袋にけつまずいて、思わず手が婆さんの膝《ひざ》にさわったから、たまりませぬ。尼の奴め驚いて眼をさますと、暫くはただ、あっけにとられて、いたようでございますが、急に気ちがいのようになって、娘の足にかじりつきました。そうして、半分泣き声で、早口に何かしゃべり立てます。切れ切れに、語《ことば》が耳へはいる所では、万一娘に逃げられたら、自分がどんなひどい目に遇うかも知れないと、こう云っているらしいのでございますな。が、こっちもここにいては命にかかわると云う時でございますから、元よりそんな事に耳をかす訳がございませぬ。そこで、とうとう、女同志のつかみ合がはじまりました。
「打つ。蹴《け》る。砂金の袋をなげつける。――梁《はり》に巣を食った鼠《ねずみ》も、落ちそうな騒ぎでございます。それに、こうなると、死物狂いだけに、婆さんの力も、莫迦《ばか》には出来ませぬ。が、そこは年のちがいでございましょう。間もなく、娘が、綾と絹とを小脇《こわき》にかかえて、息を切らしながら、塔の戸口をこっそり、忍び出た時には、尼《あま》はもう、口もきかないようになって居りました。これは、後《あと》で聞いたのでございますが、死骸《しがい》は、鼻から血を少し出して、頭から砂金を浴びせられたまま、薄暗い隅の方に、仰向《あおむ》けになって、臥《ね》ていたそうでございます。
「こっちは八坂寺《やさかでら》を出ると、町家《ちょうか》の多い所は、さすがに気がさしたと見えて、五条|京極《きょうごく》辺の知人《しりびと》の家をたずねました。この知人と云うのも、その日暮しの貧乏人なのでございますが、絹の一疋もやったからでございましょう、湯を沸かすやら、粥《かゆ》を煮るやら、いろいろ経営《けいえい》してくれたそうでございます。そこで、娘も漸《ようや》く、ほっと一息つく事が出来ました。」
「私も、やっと安心したよ。」
 青侍《あおざむらい》は、帯にはさんでいた扇《おおぎ》をぬいて、簾《すだれ》の外の夕日を眺めながら、それを器用に、ぱちつかせた。その夕日の中を、今しがた白丁《はくちょう》が五六人、騒々しく笑い興じながら、通りすぎたが、影はまだ往来に残っている。……
「じゃそれでいよいよけり[#「けり」に傍点]がついたと云う訳だね。」
「所が」翁《おきな》は大仰《おおぎょう》に首を振って、「その知人《しりびと》の家に居りますと、急に往来の人通りがはげしくなって、あれを見い、あれを見いと、罵《ののし》り合う声が聞えます。何しろ、後暗《うしろぐら》い体ですから、娘はまた、胸を痛めました。あの物盗《ものと》りが仕返ししにでも来たものか、さもなければ、検非違使《けびいし》の追手《おって》がかかりでもしたものか、――そう思うともう、おちおち、粥《かゆ》を啜《すす》っても居られませぬ。」
「成程。」
「そこで、戸の隙間《すきま》から、そっと外を覗いて見ると、見物の男女《なんにょ》の中を、放免《ほうめん》が五六人、それに看督長《かどのおさ》が一人ついて、物々しげに通りました。それからその連中にかこまれて、縄にかかった男が一人、所々|裂《さ》けた水干を着て烏帽子《えぼし》もかぶらず、曳かれて参ります。どうも物盗りを捕えて、これからその住家《すみか》へ、実録《じつろく》をしに行く所らしいのでございますな。
「しかも、その物盗りと云うのが、昨夜《ゆうべ》、五条の坂で云いよった、あの男だそうじゃございませぬか。娘はそれを見ると、何故か、涙がこみ上げて来たそうでございます。これは、当人が、手前に話しました――何も、その男に惚《ほ》れていたの、どうしたのと云う訳じゃない。が、その縄目《なわめ》をうけた姿を見たら、急に自分で、自分がいじらしくなって、思わず泣いてしまったと、まあこう云うのでございますがな。まことにその話を聞いた時には、手前もつくづくそう思いましたよ――」
「何とね。」
「観音様へ願《がん》をかけるのも考え物だとな。」
「だが、お爺《じい》さん。その女は、それから、どうにかやって行けるようになったのだろう。」
「どうにか所か、今では何不自由ない身の上になって居ります。その綾や絹を売ったのを本《もと》に致しましてな。観音様も、これだけは、御約束をおちがえになりません。」
「それなら、そのくらいな目に遇っても、結構じゃないか。」
 外の日の光は、いつの間にか、黄いろく夕づいた。その中を、風だった竹籔の音が、かすかながらそこここから聞えて来る。往来の人通りも、暫くはとだえたらしい。
「人を殺したって、物盗りの女房になったって、する気でしたんでなければ仕方がないやね。」
 青侍は、扇を帯へさしながら、立上った。翁《おきな》も、もう提《ひさげ》の水で、泥にまみれた手を洗っている――二人とも、どうやら、暮れてゆく春の日と、相手の心もちとに、物足りない何ものかを、感じてでもいるような容子《ようす》である。
「とにかく、その女は仕合せ者だよ。」
「御冗談で。」
「まったくさ。お爺さんも、そう思うだろう。」
「手前でございますか。手前なら、そう云う運はまっぴらでございますな。」
「へええ、そうかね。私なら、二つ返事で、授《さず》けて頂くがね。」
「じゃ観音様を、御信心なさいまし。」
「そうそう、明日《あす》から私も、お籠《こもり》でもしようよ。」
[#地から1字上げ](大正五年十二月)



底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
   1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月9日修正
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