芋粥
芥川龍之介

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)元慶《ぐわんぎやう》の末か

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)藤原|基経《もとつね》に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+(世/木)」、第3水準1−87−56]栗《ゆでぐり》
−−

 元慶《ぐわんぎやう》の末か、仁和《にんな》の始にあつた話であらう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めてゐない。読者は唯、平安朝と云ふ、遠い昔が背景になつてゐると云ふ事を、知つてさへゐてくれれば、よいのである。――その頃、摂政《せつしやう》藤原|基経《もとつね》に仕へてゐる侍《さむらひ》の中に、某《なにがし》と云ふ五位があつた。
 これも、某と書かずに、何の誰と、ちやんと姓名を明にしたいのであるが、生憎《あいにく》旧記には、それが伝はつてゐない。恐らくは、実際、伝はる資格がない程、平凡な男だつたのであらう。一体旧記の著者などと云ふ者は、平凡な人間や話に、余り興味を持たなかつたらしい。この点で、彼等と、日本の自然派の作家とは、大分ちがふ。王朝時代の小説家は、存外、閑人《ひまじん》でない。――兎に角、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。これが、この話の主人公である。
 五位は、風采の甚《はなはだ》揚《あが》らない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、眼尻が下つてゐる。口髭は勿論薄い。頬が、こけてゐるから、頤《あご》が、人並はづれて、細く見える。唇は――一々、数へ立ててゐれば、際限はない。我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである。
 この男が、何時《いつ》、どうして、基経に仕へるやうになつたのか、それは誰も知つてゐない。が、余程以前から、同じやうな色の褪《さ》めた水干《すゐかん》に、同じやうな萎々《なえなえ》した烏帽子《ゑぼし》をかけて、同じやうな役目を、飽きずに、毎日、繰返してゐる事だけは、確である。その結果であらう、今では、誰が見ても、この男に若い時があつたとは思はれない。(五位は四十を越してゐた。)その代り、生れた時から、あの通り寒むさうな赤鼻と、形ばかりの口髭とを、朱雀大路《すざくおほぢ》の衢風《ちまたか
次へ
全17ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング