の中でも通人の名の高い十内には、可笑《おか》しいと同時に、可愛《かわい》かったのであろう。彼は、素直《すなお》に伝右衛門の意をむかえて、当時内蔵助が仇家《きゅうか》の細作《さいさく》を欺くために、法衣《ころも》をまとって升屋《ますや》の夕霧《ゆうぎり》のもとへ通いつめた話を、事明細に話して聞かせた。
「あの通り真面目な顔をしている内蔵助《くらのすけ》が、当時は里げしきと申す唄を作った事もございました。それがまた、中々評判で、廓《くるわ》中どこでもうたわなかった所は、なかったくらいでございます。そこへ当時の内蔵助の風俗が、墨染の法衣姿《ころもすがた》で、あの祇園の桜がちる中を、浮《うき》さま浮さまとそやされながら、酔って歩くと云うのでございましょう。里げしきの唄が流行《はや》ったり、内蔵助の濫行も名高くなったりしたのは、少しも無理はございません。何しろ夕霧と云い、浮橋《うきはし》と云い、島原や撞木町《しゅもくまち》の名高い太夫《たゆう》たちでも、内蔵助と云えば、下にも置かぬように扱うと云う騒ぎでございましたから。」
 内蔵助は、こう云う十内の話を、殆ど侮蔑されたような心もちで、苦々《にが
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