ようでございます。岡林杢之助《おかばやしもくのすけ》殿なども、昨年切腹こそ致されたが、やはり親類縁者が申し合せて、詰腹《つめばら》を斬らせたのだなどと云う風評がございました。またよしんばそうでないにしても、かような場合に立ち至って見れば、その汚名も受けずには居《お》られますまい。まして、余人は猶更《なおさら》の事でございます。これは、仇討《あだうち》の真似事を致すほど、義に勇みやすい江戸の事と申し、且《かつ》はかねがね御一同の御憤《おいきどお》りもある事と申し、さような輩を斬ってすてるものが出ないとも、限りませんな。」
 伝右衛門は、他人事《ひとごと》とは思われないような容子《ようす》で、昂然とこう云い放った。この分では、誰よりも彼自身が、その斬り捨ての任に当り兼ねない勢いである。これに煽動《せんどう》された吉田、原、早水、堀部などは、皆一種の興奮を感じたように、愈《いよいよ》手ひどく、乱臣賊子を罵殺《ばさつ》しにかかった。――が、その中にただ一人、大石内蔵助だけは、両手を膝の上にのせたまま、愈《いよいよ》つまらなそうな顔をして、だんだん口数をへらしながら、ぼんやり火鉢の中を眺めている。
 彼は、彼の転換した方面へ会話が進行した結果、変心した故朋輩の代価で、彼等の忠義が益《ますます》褒《ほ》めそやされていると云う、新しい事実を発見した。そうして、それと共に、彼の胸底を吹いていた春風は、再び幾分の温《ぬく》もりを減却した。勿論彼が背盟の徒のために惜んだのは、単に会話の方向を転じたかったためばかりではない、彼としては、実際彼等の変心を遺憾とも不快とも思っていた。が、彼はそれらの不忠の侍をも、憐みこそすれ、憎いとは思っていない。人情の向背《こうはい》も、世故《せこ》の転変も、つぶさに味って来た彼の眼《まなこ》から見れば、彼等の変心の多くは、自然すぎるほど自然であった。もし真率《しんそつ》と云う語《ことば》が許されるとすれば、気の毒なくらい真率であった。従って、彼は彼等に対しても、終始寛容の態度を改めなかった。まして、復讐の事の成った今になって見れば、彼等に与う可きものは、ただ憫笑《びんしょう》が残っているだけである。それを世間は、殺しても猶飽き足らないように、思っているらしい。何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生《にんちくしょう》としなければならないのであろう。
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