其日から王は魔術にも星占術にも長足の進歩をした。綿密な注意を払つて星の交会を研究したり、セムボビチスと寸毫も変らず正確に星占図を引いたりする。
『セムボビチス、お前は己の星占図の真だと云ふ事を首にかけてもうけ合ふ心算か』かう王が尋ねたことがある。
『陛下、学問に間違ひはございませぬ。けれども、学者は度々間違ひを致します』と賢人セムボビチスが答へた。
バルタザアルはすぐれた官能を持つてゐた。そこで『真なる物のみが聖である。聖なる物は人間の智を絶してゐる。人間は空しく真理を探求するに過ぎない。けれども己は空に新しい星を発見した。美しい星である。生きてゐる様にも思はれる。きらめく時はやさしく瞬く天上の眼のやうに見える。己はそれが呼んでゐる様な気がする。此星の下に生れるものは何と云ふ幸福だらう。セムボビチス、此愛らしい美しい星がどんなに己たちを照してゐるか見たがよい』とかう云つた。
けれどもセムボビチスは星を見なかつた。それは見ようと思はなかつたからである。賢くしかも年老いた魔法師は新奇を好まない。
夜の沈黙の中にバルタザアルは独り繰返した。『此星の下に生れたものは何と云ふ幸福だらう。』
五
バルタザアル王がバルキスを愛さなくなつたと云ふ噂がエチオピアと近隣の王国とに播《ひろま》つた。
其知らせがシバの国に伝はると、バルキスは裏切でもされた様に腹を立てた。そしてシバの都に自分の国も忘れてうかうかと時を過してゐたコマギイナの王の所へ駈けて行つた。
『あなた、今あたしが何を聞いたか御存じ? バルタザアルがもうあたしを愛さないのでございますとさ。』
『そんな事は何でもないぢやないか。己達はお互に愛しあつてゐるのだから。』
とコマギイナの王が答へた。
『だつて、あなたはあの黒奴がわたくしを侮辱したとはお思ひになりませんの。』
『さうは思はないね。』
そこで女王は王をさんざん辱めて目通りを却けた。それから宰相に云ひつけて、エチオピアへ旅の支度をさせた。
『わたし達は今夜立つのだよ。日暮迄に支度が出来ないと、お前の首を斬るからさうお思ひ。』
けれども独りになると女王はさめざめと泣きはじめた。『わたくしはあの人を恋してゐる。あの人はもうわたしを思つてゐないのだ。それだのにわたしはあの人を恋してゐる』女王はかう云つてまごころから歎息をついたのであつた。
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