、勿論二度とお父さんの所へも、帰れなくなるのに違いありません。
「日本の神々様、どうか私《わたし》が睡らないように、御守りなすって下さいまし。その代り私はもう一度、たとい一目でもお父さんの御顔を見ることが出来たなら、すぐに死んでもよろしゅうございます。日本の神々様、どうかお婆さんを欺《だま》せるように、御力を御貸し下さいまし」
 妙子は何度も心の中に、熱心に祈りを続けました。しかし睡気はおいおいと、強くなって来るばかりです。と同時に妙子の耳には、丁度|銅鑼《どら》でも鳴らすような、得体の知れない音楽の声が、かすかに伝わり始めました。これはいつでもアグニの神が、空から降りて来る時に、きっと聞える声なのです。
 もうこうなってはいくら我慢しても、睡らずにいることは出来ません。現に目の前の香炉の火や、印度人の婆さんの姿でさえ、気味の悪い夢が薄れるように、見る見る消え失《う》せてしまうのです。
「アグニの神、アグニの神、どうか私《わたし》の申すことを御聞き入れ下さいまし」
 やがてあの魔法使いが、床の上にひれ伏したまま、嗄《しわが》れた声を挙げた時には、妙子は椅子に坐りながら、殆《ほとん》ど生
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