園の如きは決して詩ではない。彼《あ》れは詩が所々にあつて、それを散文でつないでゐるのだと。そして彼は結局、詩は百行内外が最適であると云つてゐます。小説に対しても、一度に読み切り得るものでなければならないと主張してゐるのです。
後代に迄残る作品は短いものだと断言してゐるのです。ポー逝いて後の傾向に照し彼の鋭い洞察力に感ぜざるを得ないではありませんか、彼が偉大なる先駆者であることは疑へないところです。
◇
ポーは一八四一年になくなりました。その死の悲惨であつたばかりでなく、死後も亦甚だ浮ばれないものでした。ポーには墓を建る遺産もありませんでした。
バルチモアの親戚のものが、漸くにして石を求め、石屋に刻ませ、いよ/\出来上がらうとした時、列車が脱線してその家に飛込み、ポーの石碑は微塵に砕かれて終《しま》つたのです。
◇
其後久しくして、其地の学校の女教師が主唱となり、永く掛つて寄附金を集め漸くにして石碑が建ちました、けれども、其の除幕式には、当時米国の文人にして名あるもの一人も参列しませんでした。その中に、タツタ一人、年老た、淋しい一人の人|丈《だ》けが、黙々としてその墓碑の前に立ちました、それはホイツトマンでした。
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ポーは斯く死後迄不幸な人だつたのです、殊に不幸の最大なるものは、その全集編纂が、「敵」であつたところのグリスボートの手に依つて為されたことです。然しながら、今日ポーの偉大さを疑ふものはありません。偉大なる人は遂に後代をまつより仕方がないものかと思はれます。
底本:「芥川龍之介全集 第十二巻」岩波書店
1996(平成8)年10月8日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:松永正敏
2002年5月17日作成
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