つとも大きな誤りは、これを印刷したといふことであるなどゝいつてをります。所が彼がけなした人と、褒めた人と、彼がいつたほど価値に相違があるとは認められないのです。
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 ポーには中庸なる批評は出来なかつたのです。そして、いふ迄もなく罵倒非難したものゝ方が遥に多いのです、彼の唯一の友人ローヱルさへ、彼ポーは毒薬とインキ壺と間違へてゐるといつた位で、彼の筆端は火を吐いて辛辣に、人に迫つたのです。だから、彼には味方といふものは殆んどありませんでした。彼がその終生を不遇に了つたのは故あることです。
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 然しポーの悪口は、彼自身の哲学から出てゐたのですから止むを得ないことです。ポーに従へば、批評の役目はアラを探すことにあるといふのです。ポーは斯う云ふのです。作品の美点は批評家が説明して始めて現はれるやうなものではない。自然に現はれ、自然に感得されるのでなければ美点ではない。
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 だから、真の美点は、何人にもすぐ味得される筈のものだ、従つて、批評の使命は美点を挙げるより欠点を指摘するにある。といふのです。彼はこの信条から悪口に終始した訳です。
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 ポーは詩は快楽の為めに作られるものだといつてゐる。詩の目的は其処にのみあるといつてゐる、勿論、詩とは云つても、それは芸術を代表さして云つてゐるのです。そして快楽は何処から生れるかといふに、それは美を感ずることからだといふのです。この主張は、彼の芸術の為めの芸術の先駆を為したものです。
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 ポーは、だから所謂教訓主義には絶対に反対しました。ポーの美に対する考へ方は、その最も高いものはメランコリツクなものである。といふのでした。ポーが、この芸術の為めの芸術を主張した当時は、何等省みられませんでしたが、やがて、フランスに影響し露英|悉《こと/″\》くその風靡するに任せたことは御存じの通りです。
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 また彼は Totality of effect といふ言葉を使ひました。彼はこの見地から、詩は一気に読み得るものでなければならないと主張しました。当時対岸の英国には長詩が非常な勢ひを持つてゐたのですから、その時、敢然として斯《か》う云ひ得た彼の卓見と自信とは偉とすべきです。
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 ポーは彼《か》の失楽
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