換へ、松葉杖をついて来たのだつた。
「けふは松葉杖だね。」
 O君は白い歯を見せて笑つた。
「ああ、けふはオオル(櫂《かい》)にしたよ。」

     ×

 僕はO君の家《うち》へ遊びに行《ゆ》き、四畳半の電燈の下にいろいろのことを話し合つた。が、大抵《たいてい》は神経とかテレパシイとかの話だつた。Uと云ふ僕の友だちの一人《ひとり》はコツプに水を入れて枕もとへ置き、暫《しばら》くたつてそのコツプを見ると、いつか水が半分になつてゐる、或晩などはうとうとしてゐると、いきなり顔へ水がかかつた。しかし驚いて飛び起きて見ると、コツプだけは倒れずにちやんとしてゐる、――そんな話も出たものだつた。
 それから僕等は散歩かたがた、町まで買ひものに出かけることにした。するとO君はいつもに似合《にあ》はず、肘掛《ひぢか》け窓の戸などをしめはじめた。のみならず僕にかう言つて笑つた。
「この窓に明《あか》りがさしてゐるとね、どうもそとから帰つて来た時に誰か一人《ひとり》ここに坐つて、湯でものんでゐさうな気がするからね。」
 O君は勿論《もちろん》この家に自炊生活《じすゐせいくわつ》をしてゐるのである。

     ×

 O君はけふも不相変《あひかはらず》赤シヤツに黒いチヨツキを着たまま、午前十一時の裏庇《うらびさし》の下に七輪《しちりん》の火を起してゐた。焚きつけは枯れ松葉や松蓋《まつかさ》だつた。僕は裏木戸《うらきど》へ顔を出しながら、「どうだね? 飯《めし》は炊《た》けるかね?」と言つた。が、O君はふり返ると、僕の問には答へずにあたりの松の木へ顋《あご》をやつた。
「かうやつて飯を炊《た》いてゐるとね、松は皆焚きつけの木――だよ。」

     ×

 パナマ帽をかぶつたO君は小高い砂丘に腰をおろし、せつせとブラツシユを動かしてゐた。柱だけの白いバンガロオが一軒、若い松の群立《むらだ》つた中にひつそりと鎧戸《よろひど》を下《おろ》してゐる。――それを写生してゐるのだつた。松は僕等の居まはりにも二三尺の高さに伸びたまま、さすがに秋らしい風の中に青い松かさを実のらせてゐた。
「松ぼつくりと云ふものはこんな松にもなるものなんだね。」
 O君はブラツシユを動かしながら、僕の方へ向かずに返事をした。
「女の子が妊娠《にんしん》したと云ふ感じだなあ。」

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 O君は本職の仕事の間
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