い笑ひ声を挙げる。
 しかし椎の木は野蛮《やばん》ではない。葉の色にも枝ぶりにも何処《どこ》か落着いた所がある。伝統と教養とに培《つちか》はれた士人にも恥ぢないつつましさがある。※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かし》の木はこのつつましさを知らない。唯冬との※[#「門<兒」、332−下−18]《せめ》ぎ合ひに荒荒しい力を誇るだけである。同時に又椎の木は優柔でもない。小春日《こはるび》と戯《たはむ》れる樟《くす》の木のそよぎは椎の木の知らない気軽さであらう。椎の木はもつと憂鬱である。その代りもつと着実である。
 椎《しひ》の木はこのつつましさの為に我我の親しみを呼ぶのであらう。又この憂鬱な影の為に我我の浮薄《ふはく》を戒めるのであらう。「まづたのむ椎の木もあり夏|木立《こだち》」――芭蕉《ばせを》は二百余年|前《ぜん》にも、椎の木の気質を知つてゐたのである。
 椎の木の姿は美しい。殊に日の光の澄んだ空に葉照《はで》りの深い枝を張りながら、静かに聳えてゐる姿は荘厳に近い眺めである。雄雄《をを》しい日本の古天才も皆この椎の老《お》い木《き》のやうに、悠悠としかも厳粛にそそり立つてゐたのに違ひない。その太い幹や枝には風雨の痕《あと》を残した儘。……
 なほ最後につけ加へたいのは、我我の租先は杉の木のやうに椎の木をも神と崇《あが》めたことである。

     虫干

 この水浅黄《みづあさぎ》の帷子《かたびら》はわたしの祖父《おほぢ》の着た物である。祖父はお城のお奥坊主《おくぼうず》であつた。わたしは祖父を覚えてゐない。しかしその命日毎《めいにちごと》に酒を供《そな》へる画像《ぐわざう》を見れば、黒羽二重《くろはぶたへ》の紋服《もんぷく》を着た、何処《どこ》か一徹《いつてつ》らしい老人である。祖父は俳諧を好んでゐたらしい。現に古い手控《てびか》への中にはこんな句も幾つか書きとめてある。
「脇差《わきざ》しも老には重き涼みかな」
(おや。何か映《うつ》つてゐる! うつすり日のさした西窓《にしまど》の障子に。)
 その小紋《こもん》の女羽織《をんなばおり》はわたしの母が着た物である。母もとうに歿してしまつた。が、わたしは母と一しよに汽車に乗つた事を覚えてゐる。その時の羽織はこの小紋か、それともあの縞《しま》の御召《おめ》しか? ――兎《と》に角《かく》母は窓を後《うし》
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング