と》のように話しつづけた。
「もうゆうべ大しくじりをしたら、あたしでも何をしたかわからないのだから。」
 しかし夫は何《なん》とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子はやっとひとりになると、その日も長火鉢の前に坐り、急須《きゅうす》の湯飲みについであった、ぬるい番茶を飲むことにした。が、彼女の心もちは何か落ち着きを失っていた。彼女の前にあった新聞は花盛りの上野《うえの》の写真を入れていた。彼女はぼんやりこの写真を見ながら、もう一度番茶を飲もうとした。すると番茶はいつの間《ま》にか雲母《きらら》に似たあぶらを浮かせていた。しかもそれは気のせいか、彼女の眉にそっくりだった。
「…………」
 たね子は頬杖《ほおづえ》をついたまま、髪を結《ゆ》う元気さえ起らずにじっと番茶ばかり眺めていた。
[#地から1字上げ](昭和二年三月二十八日)



底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年2月3日公開
2004年3月9日修正
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