助の申し条を不思議に思った。それは今まで調べられた、どの切支丹門徒《きりしたんもんと》の申し条とも、全く変ったものであった。が、奉行が何度|吟味《ぎんみ》を重ねても、頑として吉助は、彼の述べた所を飜《ひるがえ》さなかった。
三
じゅりあの[#「じゅりあの」に傍線]・吉助は、遂に天下の大法《たいほう》通り、磔刑《たっけい》に処せられる事になった。
その日彼は町中《まちじゅう》を引き廻された上、さんと・もんたに[#「さんと・もんたに」に傍線]の下の刑場で、無残にも磔《はりつけ》に懸けられた。
磔柱《はりつけばしら》は周囲の竹矢来《たけやらい》の上に、一際《ひときわ》高く十字を描いていた。彼は天を仰ぎながら、何度も高々と祈祷を唱えて、恐れげもなく非人《ひにん》の槍《やり》を受けた。その祈祷の声と共に、彼の頭上の天には、一団の油雲《あぶらぐも》が湧き出でて、ほどなく凄じい大雷雨が、沛然《はいぜん》として刑場へ降り注いだ。再び天が晴れた時、磔柱の上のじゅりあの[#「じゅりあの」に傍線]・吉助は、すでに息が絶えていた。が、竹矢来《たけやらい》の外にいた人々は、今でも彼の祈祷の声が、空中に漂っているような心もちがした。
それは「べれん[#「べれん」に傍線]の国の若君様、今はいずこにましますか、御褒《おんほ》め讃《たた》え給え」と云う、簡古素朴《かんこそぼく》な祈祷だった。
彼の死骸を磔柱から下した時、非人は皆それが美妙な香《かおり》を放っているのに驚いた。見ると、吉助の口の中からは、一本の白い百合《ゆり》の花が、不思議にも水々しく咲き出ていた。
これが長崎著聞集《ながさきちょもんしゅう》、公教遺事《こうきょういじ》、瓊浦把燭談《けいほはしょくだん》等に散見する、じゅりあの[#「じゅりあの」に傍線]・吉助の一生である。そうしてまた日本の殉教者中、最も私《わたくし》の愛している、神聖な愚人の一生である。
[#地から1字上げ](大正八年八月)
底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年12月1日第1刷発行
1996(平成8)年4月1日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年12月28日公開
2004年3月8日修正
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