足るまじい、みめ清らかな白衣《びやくえ》のわらんべが、空をつんざいて飛ぶ稲妻の中に、頭を低《た》れて唯ひとり、佇んで居つたではおぢやるまいか。山男は稀有《けう》の思をないて、千引《ちびき》の巌にも劣るまじい大の体をかがめながら、慰めるやうに問ひ尋ねたは、
「おぬしは何としてかやうな夜更けにひとり歩くぞ。」と申したに、わらんべは悲しげな瞳をあげて、
「われらが父のもとへ帰らうとて。」と、もの思はしげな声で返答した。もとより「きりしとほろ」はこの答を聞いても、一向不審は晴れなんだが、何やらその渡りを急ぐ容子《ようす》があはれにやさしく覚えたによつて、
「然らば念無う渡さうずる。」と、双手《もろて》にわらんべをかい抱いて、日頃の如く肩へのせると、例の太杖をてうとついて、岸べの青蘆を押し分けながら、嵐に狂ふ夜河の中へ、胆太くもざんぶと身を浸《した》いた。が、風は黒雲を巻き落いて、息もつかすまじいと吹きどよもす。雨も川面《かはづら》を射白《いしら》まいて、底にも徹《とほ》らうずばかり降り注いだ。時折闇をかい破る稲妻の光に見てあれば、浪は一面に湧き立ち返つて、宙に舞上る水煙も、さながら無数の天使《
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