ず方々はまづ次のくだりを読ませられい。
四 往生のこと
さるほどに「きりしとほろ」は隠者の翁に別れを告げて、流沙河のほとりに参つたれば、まことに濁流|滾々《こんこん》として、岸べの青蘆《あをあし》を戦《そよ》がせながら、百里の波を翻すありさまは、容易《たやす》く舟さへ通ふまじい。なれど山男は身の丈|凡《およ》そ三丈あまりもおぢやるほどに、河の真唯中を越す時さへ、水は僅に臍《ほぞ》のあたりを渦巻きながら流れるばかりぢや。されば「きりしとほろ」はこの河べに、ささやかながら庵《いほり》を結んで、時折渡りに難《なや》むと見えた旅人の影が眼に触れれば、すぐさまそのほとりへ歩み寄つて、「これはこの流沙河の渡し守でおぢやる。」と申し入れた。もとより並々の旅人は、山男の恐しげな姿を見ると、如何なる天魔波旬《てんまはじゆん》かと始《はじめ》は胆も消《け》いて逃げのいたが、やがてその心根のやさしさもとくと合点《がてん》行つて、「然らば御世話に相成らうず。」と、おづおづ「きりしとほろ」の背《せな》にのぼるが常ぢや。所で「きりしとほろ」は旅人を肩へゆり上げると、毎時《いつ》も汀《みぎは》の柳を
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