かわらず》ひっそりしている。神父も身動きをしなければ、女も眉《まゆ》一つ動かさない。それがかなり長い間《あいだ》であった。
 その内に神父は祈祷をやめると、やっと床《ゆか》から身を起した。見れば前には女が一人、何か云いたげに佇《たたず》んでいる。南蛮寺《なんばんじ》の堂内へはただ見慣れぬ磔仏《はりきぼとけ》を見物に来るものも稀《まれ》ではない。しかしこの女のここへ来たのは物好きだけではなさそうである。神父はわざと微笑しながら、片言《かたこと》に近い日本語を使った。
「何か御用ですか?」
「はい、少々お願いの筋がございまして。」
 女は慇懃《いんぎん》に会釈《えしゃく》をした。貧しい身なりにも関《かかわ》らず、これだけはちゃんと結《ゆ》い上げた笄髷《こうがいまげ》の頭を下げたのである。神父は微笑《ほほえ》んだ眼に目礼《もくれい》した。手は青珠《あおたま》の「こんたつ」に指をからめたり離したりしている。
「わたくしは一番《いちばん》ヶ瀬《せ》半兵衛《はんべえ》の後家《ごけ》、しのと申すものでございます。実はわたくしの倅《せがれ》、新之丞《しんのじょう》と申すものが大病なのでございますが……」
 女はちょいと云い澱《よど》んだ後《のち》、今度は朗読でもするようにすらすら用向きを話し出した。新之丞は今年十五歳になる。それが今年《ことし》の春頃から、何ともつかずに煩《わずら》い出した。咳《せき》が出る、食欲《しょくよく》が進まない、熱が高まると言う始末《しまつ》である、しのは力の及ぶ限り、医者にも見せたり、買い薬もしたり、いろいろ養生《ようじょう》に手を尽した。しかし少しも効験《こうけん》は見えない。のみならず次第に衰弱する。その上この頃は不如意《ふにょい》のため、思うように療治《りょうじ》をさせることも出来ない。聞けば南蛮寺《なんばんじ》の神父の医方《いほう》は白癩《びゃくらい》さえ直すと云うことである。どうか新之丞の命も助けて頂きたい。………
「お見舞下さいますか? いかがでございましょう?」
 女はこう云う言葉の間《ま》も、じっと神父を見守っている。その眼には憐《あわれ》みを乞う色もなければ、気づかわしさに堪えぬけはいもない。ただほとんど頑《かたく》なに近い静かさを示しているばかりである。
「よろしい。見て上げましょう。」
 神父は顋鬚《あごひげ》を引張りながら、考え深
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング