ったと称しても好い。この道徳的意識に根ざした、リアリスティックな小説や戯曲、――現代は其処に、恐らくは其処にのみ、彼等の代弁者を見出したのである。彼が忽ち盛名を負ったのは、当然の事だと云わなければならぬ。
 彼は第一高等学校に在学中、「笑へるイブセン」と云う題の下に、バアナアド・ショオの評論を草した。人は彼の戯曲の中に、愛蘭土劇の与えた影響を数える。しかしわたしはそれよりも先に、戯曲と云わず小説と云わず、彼の観照に方向を与えた、ショオの影響を数え上げたい。ショオの言葉に従えば、「あらゆる文芸はジャアナリズムである。」こう云う意識があったかどうか、それは問題にしないでも好い。が、菊池はショオのように、細い線を選ぶよりも、太い線の画を描いて行った。その画は微細な効果には乏しいにしても、大きい情熱に溢れていた事は、我々友人の間にさえ打ち消し難い事実である。(天下に作家仲間の友人程、手厳しい鑑賞家が見出されるであろうか?)この事実の存する限り、如何に割引きを加えて見ても、菊池の力量は争われない。菊池は Parnassus に住む神々ではないかも知れぬ。が、その力量は風貌と共に宛然 Pelion
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