へど》も、其一半は兀兀《こつこつ》三十余年の間、文学|三昧《ざんまい》に精進したる先生の勇猛に帰せざる可からず。言ふを休めよ、騒人清閑多しと。痩容《そうよう》豈《あに》詩魔《しま》の為のみならんや。往昔自然主義新に興り、流俗の之に雷同するや、塵霧《じんむ》屡《しばしば》高鳥を悲しましめ、泥沙《でいさ》頻《しきり》に老龍を困しましむ。先生此逆境に立ちて、隻手|羅曼《ロマン》主義の頽瀾《たいらん》を支へ、孤節《こせつ》紅葉《こうえふ》山人の衣鉢を守る。轗軻《かんか》不遇の情、独往大歩の意、倶《とも》に相見するに堪《た》へたりと言ふ可し。我等皆|心織筆耕《しんしきひつかう》の徒、市に良驥《りやうき》の長鳴を聞いて知己を誇るものに非ずと雖《いへど》も、野に白鶴の廻飛《くわいひ》を望んで壮志を鼓《こ》せること幾回なるを知らず。一朝天風|妖氛《えうふん》を払ひ海内の文章先生に落つ。噫《ああ》、嘘、先生の業、何ぞ千万の愁《うれひ》無くして成らんや。我等手を額《ひたひ》に加へて鏡花楼上の慶雲を見る。欣懐《きんくわい》破願を禁ず可からずと雖《いへど》も、眼底又涙無き能はざるものあり。
 先生今「鏡花全集」十五巻を編し、巨霊《きよれい》神斧《しんふ》の痕《あと》を残さんとするに当り我等知を先生に辱《かたじけな》うするもの敢て※[#「言+剪」、第4水準2−88−73]劣《せんれつ》の才を以て参丁校対《さんていかうつゐ》の事に従ふ。微力其任に堪へずと雖も、当代の人目を聳動《しようどう》したる雄篇|鉅作《くさく》は問ふを待たず、治《あまね》く江湖に散佚《さんいつ》せる万顆《ばんくわ》の零玉《れいぎよく》細珠《さいしゆ》を集め、一も遺漏《ゐろう》無からんことを期せり。先生が独造の別乾坤《べつけんこん》、恐らくは是より完《まつた》からん乎。古人曰「欲窮千里眼更上一層楼《きはまらんとほつすせんりのめさらにいつそうろうをのぼらん》」と。博雅の君子亦「鏡花全集」を得て後、先生が日光晶徹の文、哀歓双双《あいくわんさうさう》人生《じんせい》を照らして、春水欄前に虚碧《きよへき》を漾《ただよ》はせ、春水雲外に乱青《らんせい》を畳める未曾有の壮観を恣《ほしいまま》にす可し。若し夫れ其大略を知らんと欲せば、「鏡花全集」十五巻の目録、悉《ことごとく》載せて此文後に在り。仰ぎ願くは瀏覧《りうらん》を賜へ。
[#地か
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