そして 娘は月に照らされた
娘は 月夜のかなしい思慕に美しい顔を月にむけて
そこには梅の木や松の木の不思議にのびた平らな黒い影があつた
そして その上に月が出てゐた
娘はかなしい歌をうたつた
そして瞳はぬれて 静かに歩る[#「る」に「ママ」注記]いてゐた
娘は鬱蒼と茂つた森林に這入つた
そして そこで娘は彼女のやさしい心にささやいた
「美しい月夜」
立木は眠つてゐた 彼女は失な[#「な」に「ママ」注記]つたものをやさしい彼女の心にたづねた
娘は蒼白な月につつまれてにつこりともしない
そして娘はそつと部屋に這入つた
月の光りは部屋の中に明るい海のやうに漂つてゐた
窓近く娘は椅子をひき寄せた
十八になつた 娘はかなしい
月が遠い
娘は顔を掩つた
と―― 祭りのやうなうたごゑが次第にたかまつてきて娘の耳にも聞きとれさうであるが それは静かな雨の夜にポツンと雨の一しづくがとよ[#「よ」に「ママ」注記]をうつやうな わけもなく淋みしい音色を引いてゐた
娘の心の底から湧いてくるやうに でもあつた
娘は眠つてゐるやうに動かない
娘の影が少しづつずれて、そして彼女から離れてしまつた
そして 月の光りの中に娘の影は笛のやうに細く浮んでゐた
3−B
娘が窓から月を見てゐた
はなやかな月夜の夕暮れである
「ああ 消えてゆきさうな――」と娘は身をかばう[#「う」に「ママ」注記]やうに窓を閉めた
明るく照らされた窓を 月が見てゐた
そして 娘の見た幻想の中に 自分を見つけた
針金のやうに細く 青く 水のやうに孤独な人格をもつた自分を――
月が娘の窓近く降りて来ると 部屋の中に力なくすすり泣く娘のなげきを聞いた
「恋人よ――
恋人よ――
今宵は月までが泣いてゐる」
娘は泣きぬれて顔をあげた
月は窓を離れた そしてさりげなく月は笛のやうにせまく細く青い 娘の幻想をよこぎつて通つた
月は天に帰るまで娘の嗚咽を聞いた
月の忍びの足音は消された
あたりはしんとした
空に青い月が出てゐた
4−
青い月夜の夕暮がつゞいてゐた
人人は 娘の泣く不思議な感情になやまされた
老人の一人娘も その隣りの娘も
美しいばかりに 冷め[#「め」に「ママ」注記]たい顔をして泣きくれてゐた
娘はみな泣いてゐた
泣きごゑがふるへて風に吹かれた
そして空の方へ消えていつた
人人は空を見あげた
娘らの泣くこゑの消える はるか空のかなたを見た
猫がゐる――人人は空のひととこを指した
黒い猫がゐる―人人が集まつた そして月を指した
娘らの泣くこゑはさびしく響いた
やさしい娘らの泣くこゑがなまめかしい衣裳につつまれて 夜鳥のやうに吹かれて消えていつた
底本:「尾形亀之助詩集」現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年6月10日初版第1刷
1980(昭和55)年10月1日第3刷
入力:高柳典子
校正:泉井小太郎
2001年10月10日公開
青空文庫作成ファイル:
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