知っていながら、なんだか友だちでもできたようなにぎやかな気持になって、しきりに帽子《ぼうし》のひさしを上げたり、さげたり、目をいからしてみたり、口をまげてみたりして、ひとり興《きょう》がっていた。しまいには、シグナル・ランプを顔の前につきだしてみたりした。(その当時は、客車《きゃくしゃ》にさえ、うす暗い魚油灯《ぎょゆとう》をつけたもので、車掌室《しゃしょうしつ》はただ車掌の持《も》つシグナル・ランプで照《て》らされるばかりであった。そのほかに、ろうそくを不時《ふじ》の用意《ようい》として、いつも持ってはいたが。)で、シグナル・ランプを顔のそばへ持ってきて見ると、自分の顔は、暗いガラスの中に、くっきりとうかびだすようにうつって見えた。
と、自分は、鼻《はな》の頭に、煤煙《ばいえん》であろう、黒いものがべっとりとついているのを見つけて苦笑《くしょう》した。指《ゆび》のさきにつばをつけて、鼻の頭をこすりながら、わたしは、いままで自分の顔にむけていたランプをくるりむこうへまわすと、ガラスにうつっていた自分の影《かげ》は消《き》えて、サーチライトのようないなずま[#「いなずま」に傍点]形《がた》の光が、さっと、ガラスまどを通して、貨車《かしゃ》の内部《ないぶ》へさしこんだ。その貨車にはちょうど、石狩川《いしかりがわ》でとれたさけがつみこんであったので、自分は、キラキラと銀色《ぎんいろ》に光るうろこの山を予想《よそう》したのだったが、ランプの光は、ただ、ぼんやりとやみの中にとけこんでしまって、なんにも見えない。おかしいなと思ったので、自分は、立ち上がってガラスまどに鼻《はな》をつけるようにしてのぞきこむと、おどろいた。さけの山は、乱雑《らんざつ》にとりくずされ、ふみにじりでもしたように、めちゃめちゃになっているのだ。
さけがぬすまれるということは、その季節《きせつ》にはよくあることなので、自分は、さけどろぼうが貨車《かしゃ》の中まであらしたのかと思うと、思わず、むッとして、手荒《てあら》く仕切《しき》りの車戸《くるまど》をひきあけて、足をふみこんだ。もちろん、まだどろぼうが貨車の中にぐずついていようとは思わなかったけれど、用心《ようじん》のために、そばにあった信号旗《しんごうき》のまいたのを、右手に持ち、左手にランプを高くさし上げて、用心|深《ぶか》く進《すす》んだ。
車
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