る慎作の、固い決心の様を見ては、どうしても口に出しては攻撃しかねる様だった。それに慎作の演説会場に於ける一種の勇姿も、鳥渡《ちょっと》捨てかねる風でもあった。兎も角、父と母との思惑は水銀の様に動き易く難かしく言わば「対立」するところの祖父と慎作との間を、振子の様に行ったり来たりした。
ある日だった。
慎作は帰宅するとすぐ祖父に掴まって、宣告的に言い渡された。
「おい、お前は反対やそうなが、こうなったら背に腹は換えられんさかい、どうせ、肥代にも足らん金や、繭の金で小鳥飼おうと思うのや、今、流行ってる十姉妹《じゅうしまつ》な、あれに定《き》めたんや」
慎作は、吐胸をつかれて言葉が無かった。愈々来た……ある決定的な問題が、突然、目前一杯に立はだかった様な気がした。
民衆への救いででもあるのか、或は悪魔の手弄《てなぐさ》みか、実際この十姉妹の流行は、一時天下を風靡した万年青《おもと》と同じく、不可解な魅力を以って、四国を発端にして中国近畿、殊に慎作の故郷附近には感冒よりも凄じい伝染力をふるった。この小鳥は、安易な世話と僅少な食餌代とで六十日目毎に幾つかの雛鳥を巧みに巣立させた。巣立った雛は飛ぶ様に売れて、親鳥の代価は完全に償われ、後は全くお伽話の様に金の卵を産むに等しかった。憑かれた様な流行力は、何の変哲もなく、只日本人の如く多産であると云うだけのこの鳥に、「白」だとか「背残り」だとか「チョボ一」だとかまるで骨董の様な種別を創造し、価値の上には相場の様な変動を生みつけた。需供の関係等は悪宣伝と浮気な流行心理の後ろに霞み去り、「飼鳥」と云う純粋な愛鳥心等も病的な流行の前に死滅し、そこには唯、露骨な殖金の一念ばかりがはびこった。にわかの小烏屋が相継いで出来、遊人は忽ち役者の様に小鳥ブローカーとなり澄し、連日の小鳥の市で席貸するお寺には、厄病時の様に金が落ちた。事実、この流行力が存続する限り損失者は殆んど例外で、十姉妹はインチキ骰子《さいころ》同様だった。
「阿呆奴、今に暴落《がら》が来るぞ」と嘲笑していた人達が、何時の間にか悪夢の捕虜になってぞくぞく渦に巻きこまれた。旱りで、田に旧い餅の様な亀裂が出来初める頃には、地道な百姓達までが鳥籠を造り出した。それは全く異様であった。行逢った人達は、天気の挨拶より旱りの噂より先に十姉妹の話だった。それは唯、不景気の病的な反動だ
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