べて見たところの物理學の理論ばかりを説いたと云つた樣な譯で、主として互性活眞の道理を説明し、人心を刺激する如き具體的の議論を試みなかつたのではないかと云ふのである。即ち始から問題の起る氣遣ひがない樣な態度を取つたらうと云ふことである。もし此推測にして當つてゐるなら、彼が常識を備へてゐたといふ證據は更に裏書された譯であることは言ふ迄もない。
 彼の常識に附帶して彼の愛國心を思ひ出さざるを得ない。是も亦常識を助けて全本の公表を見合せさする一因となつたのではなからうかとの想像は當らずと雖も遠からずであらうと思つてゐる。私は劈頭第一に民族的農本組織と云ふ言葉を使つて置いたが、この民族である。彼が我民族を建てようとの意志熱情は到る處に表はれて實にいたましい程である。彼は神を信ぜず佛を信ぜず又聖人を信ぜず、全く傍若無人の言を弄して憚らざるにも係らず、事苟も我國の利害に關すと見れば、蹶然起つて神國を喚び、此神國をどうする積りであるかと詰責するのである。かくして聖徳太子は異國の佛を信じ儒を尚ぶと云ふ譯で甚だ香ばしからぬ名稱を奉られ、最澄空海の如きは態※[#二の字点、1−2−22]渡唐したあげく、佛教の
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