点、1−2−22]以て至難のことと云はざるを得ない。法世を捨て自然世に向はせしめようとする安藤は責任上此問題に對する具體案を示さざるを得なくなつた。勿論聖人も考付かなかつた新しい試みであるから、少しは驚く樣なことがあるかもしれない。其代り所謂百年を期するので、決してクーデターに出づる樣な政略的卑劣のことはしない。全く相談的に出るのである。其上安藤は口不調法でいけないから私が彼の考へたことの意味を代演する。
 武士は封建制度の作り出した最高の産物である。國土に培ふ櫻と共に日本の名物となつてゐる。武士の尊き所以は武士道にあることは云ふまでもない。其武士道は如何にして出來たか。諺に衣食足つて禮節を知ると云ふことがある。彼等は皆祿を貰ひ、末代生活の保證を得て居たものである。之を與るものの義務慈愛の態度と、之を受くるものの責任敬愛の觀念とが融合して、微妙の勢力となり、彼等の意志を精練し行動を莊嚴ならしめた結果が即ち其武士道である。根柢に於ては上下相愛共存共榮の心に外ならないのである。かかる結構なる制度があるならば、四民悉く武士になつたらどうであらう。それでは明日から食物に差支へるから困る。いやそこである。食物は何よりも大事と氣付いたら、武士は武士のまま歸農する。而して其中から必要に應じて工商を營むものを作ることとする。しかし誰一人徒食の遊民たることを許さない。皆勞作して食ふこととする。苟くも武士たるものは末代生活の保證を得てゐるのであるから愛國奉公の志篤からざるを得ず。依て所得を政府に納め、其代り生活に必要なる支給を受くる事を條件とするのである。政府に於ては其意を領し、尤も公平なる配給法を工夫し、暴富奢侈等罪惡の原因となるべきものを發生せしめざることに注意する事は云ふ迄もない。而て歳計の餘裕を以て公共施設を整頓せしめ、國民全體の幸福を増進せしむることに盡力し、以て共存共榮の實を擧ぐるのである。偖て其政府はどうする。是は大和民族の意志に尋ねる。かくして出來上るところの新日本は武士道以上の精華を發揮して譽れを萬國に輝し、人類をして皆我日本に傚ふことに至らしむるであらう。
 以上の案は云ふ迄もなく罪惡を未然に防ぐ目的を以て提出するのである。安藤は戰を好まない男であるから、武士を農列に引摺落さうとするのであるが、私は武士側が覺醒して任意歸農する如く説いたといつた違のあるばかりで、成立するところの民族的農本組織は孰れからするも漸近的に同一點に歸着するものと見て差支ないのである。故に私の述べた所は安藤の説を曲解したものでなく、彼の精神を呑込み易い樣に現はしたものである。私の述べた案が贊成を得ないこととなれば安藤の案は尚更いけないこととなる。
 自然の何物たるかを知らざるものは仁義の桎梏を免かれ、欺瞞の陷穽を避くるに明もなく力もなく、滔々として罪惡を犯すに至るのである。之を見るに忍びず、知らしむべからず、由らしむべしと考へたものが即ち農本共産主義である。此考は眞道哲論の中に簡單に書いてあつたばかりで、外には何處にも詳説した所がない。故に私も大體を記すことに止めよう。昔し楚の許行が君民並耕の説を爲したのは頗る共産主義に近かつたものらしく思はれる。今又ソビエット・ロシヤで勞農共産を大仕懸に達成しようとしてゐるが、成否の程が見物である。學者の議論に至つては、紛々擾々、未だ歸着するところがないと見るべきである。此間に在て安藤の提案は其量に於ては甚だ貧弱なる感をなすも、其質に於ては尤も優越したる功ありと云ふべきであらう。何となれば歐米の主義は單に經濟問題に立脚し、反對に立つところの同胞を仇敵視し、忽ち喧嘩を始むるを通性となしてゐるが、安藤の主張は事物の根本原則に立脚し、萬事を理解して決して爭ひを爲さない特性を有してゐるからである。この立脚地の相違に動機の純濁を發見するのであるから、玉石を混淆すべきでない。
 救世の道程としての農本共産あるを見た所で、後は唯自然世の何物たるかを見ることが殘つてゐるばかりである。しかるに安藤が其説明を試るであらうと思はれる顯正之卷の中、何所にも其記事が見當らない。私が見ることを得なかつた生死之卷に地獄極樂の存在を主張してゐるなど想ふことは子から親が生れると考へる位覺束ない話であり、他の部分は悉く自然現象の彼一流の説明を以て充たされてあるのを以て見れば、彼の考が那邊にあつたかと云ふことが推測出來ると思ふ。即ち自然性とは先づ罪惡の發生を最小ならしむる目的を以て準備的に布くところの農本制度の樹立に始まり、自然の現象の正確なる知識を獲得し、其知識により改良しつつ落着くところに落着くのを云ふのである。是は安藤にも具體案があらう筈がないので、書くことを見合したのであらう。
 私は安藤は醫者であつたらうと云ふことを推測して置いたが、彼は醫學以外
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