の翌日の好天気もまた雪崩れる。
 それにこの時は、カンジキがもぐって人夫を連れている時は歩けないことがある。だから、どうしても雪崩前に山へ行かなければ損である。
 人夫。われらの背負う荷には限りがある。だから人の全くいない山の中を一週間も歩くには、人夫を頼むほかに仕方がない。ところが人夫はカンジキであるから、スキーとなかなか歩調が一致しない。確かに不便であるが、われらが弱くて荷が背負えないのだから、この不便を忍ばねばならない。人夫は必ず猟師でなければならない。夏山を歩いた男などはかえって迷惑である。
 山によっては、カンジキの道とスキーのとるべき道とは一致しないが、信州の山のように谷のほか登れないところならば、どうも仕方がない。人夫を連れていれば夜営は、そんなに早く着かないでも間にあう。木をどんどんきってもらって、われらは寝床の用意と飯の用意をすればいい。だから山男ばかりでない時には、人夫が二人は入用である。仕事にかかる前にパンを一かじりしないと仕事が早く行かない。
 いつでも余分のパンをもっていなければいけない。全く雪の中で宿る時には、人夫がいないと、なかなか一晩の焚火がとれない。
 腹がへり、身体が参って、おまけに寒くなってくると、仕事ははかどらない。
 だから人夫なしで、歩きたいのは理想であるが、今の日本の雪中登山の程度では、やはり必要なのであろう。
 スキーとカンジキ。あの辺の山は、谷をまっすぐに登らねばならぬところが出てくるから、スキーのみでは困難である。一昨年は常念の谷をスキーで登って、一時間半かかったが、今年はカンジキにはきかえて一時間で登った。
 大部分スキーが楽で速いけれど、この山では時々どうしてもカンジキの方が速いところは、ただちにはきかえるがいい。他の山でもカンジキは携帯せねばならぬと思う。スキーが破損した時、負傷者のある時に必要である。スキーの靴でカンジキをつけると、ぬけ易いが、大して困難もしなかった。私はスキーと共にカンジキを携帯することを絶対に必要とする。
 夜営。油紙の厚いのと、シャベルと毛布(カモシカまたはトナカイ)の寝袋があればいいと思われる。何しろ一にも毛皮、二にも毛皮、三にも毛皮である。あとは身体を適応させるほか仕方がない。植物質のものを何枚着たって防寒にはならない。
 夏見た小屋は必ずしもあてにならない。場所により小屋により雪
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