ね。マンメリイは先刻《さっき》の言葉を、Penalty and danger of mountaineering. っていう章のところで、山登りの危険を詳しく論じてから言っているんだぜ、山登りにはかくかくの危険がある。そしてそれはかくかくして避け得られるし、勝ち得られる。けれどなお登山者の不幸は絶対には避け得られない、と言ってその後へ先刻の言葉をもって来ているのさ。ワンデーだってそうだろう。『山とスキー』に、「人力の及ぶかぎりの確《たしか》さをもって地味に、小心に一歩一歩と固めてゆく時にはじめていままで夢にも知らなかった山の他の一面がじりじりと自分らの胸にこたえてくる」って書いていたじぁないか。おそらくそうやって行って、それでもやられちゃったんだ。そこまでゆけば、あとは運命さ、なんて言ったって俺は運命だと思うよ。だから、そういうようなやつら[#「やつら」に傍点]にとっちゃあ、山登りは趣味だの、またスポートだのって思ってはいないかも知れないぜ。」
 答えたひとりは、熱心に、疲れることなく言った。
「スポート、趣味、勿論そうじぁないだろう。俺だっていま現在、俺の山登りはスポートだとも思ってやしないし、趣味なんかでもないや、なんだかわからないが、そんなものよりもっと自分にピッタリしたもんだ。」
 新しいひとりが暗いなかで、すぐその前の言葉を受けて、強く言い放った。沈黙が暫くつづいた。すると、
「とにかく、人間が死ぬっていうことを考えのうちに入れてやっていることには、すくなくともじょうだんごと[#「じょうだんごと」に傍点]はあんまりはいっていないからね。…………」と多くを言わずに、あとの言葉をのみこんでしまったように言ったのは、その死んだ友とそのとき行をともにした自分たちの仲間のひとりだった。彼《か》れこそは自分たちの仲間で最も異常な経験をそのときにしたのだ。だから、山での災禍ということについては最も深い信念をば、彼れは特に自分たちに比してもっているわけだ。けれど彼れはそれを自分たちに語りはしなかった。彼れのおもい秘めたような心を自分たちへ敢て開こうとはしなかった。けれど彼れはただこういうことだけは言った。「俺はそのとき以来一層山は自分からはなしがたいものとなってしまった。立山は以前から好きな山だったが、あの時からはなお一層好きになってしまった。」そしてそれ以上はなんにも言わなかった。話しはまたとぎれてしまった。各々の想いはまた各々の心のなかをひとりで歩まねばならなかった。
 自分自身の心胸にもそのときはいろいろのことがおもい浮んだ。暗い、後ろめたい思想が自分を悩まし、ある大きな圧力が自分の心を一杯にした。そしてついに山は自分にとってひとつの謎ぶかい吸引力であり、山での死はおそらくその来るときは自分の満足して受けいれらるべき運命のみちびきであるとおもった。そしてそのとき自分のたましいのウンタートーンとして青春のかがやかなほほえみと元気のあるレーベンスグラウベとが心にひろがってきた。死ということをふかく考えても、それを強く感じても、なお青春のかがやかしさはその暗さを蔽うてしまう。わけて自分たちにとっては、山での死は決して願うべく、望ましき結果ではなけれ、その来るときは満足して受けいれらるべき悔いのないプレデスティナツィオーンであるからだ。そしてそのとき夜はますます自分たちの頭上に澄みわたっていた。かずかずの星辰は自分たちにある大きな永遠というものを示唆するかのように、強く、燦《あき》らかに光っていた。ひとつの人間のイデーとひとりの人間の存在というようなものがおのずと対照して思われた。すると、そのときだった。ふと夜空に流星がひとつすっと[#「すっと」に傍点]尾をひきながら強く瞬間的にきらめいて、なにかひとつの啓示を与えたかのように流れ消えた。万有の生起壊滅の理。突然そのときひとりの友の声が沈黙の重みをうちこわして、おおらかに放たれた。彼れはそのほのみえる顔に、溢《あふ》るるような悦びの色をたたえて言ったのだった。
「おい、俺たちはいつかは死んじまうんだろう、だけれど山だってまたいつかはなくなっちまうんじゃあないか。」

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 このひとつの叙事文はこの通りのままの事実がそのままにあったのをそのままに書き表わしたのではないという事はお断りしなければならない。だけれどこの中に叙せられた山の上での経験についても、またこの中に織り込まれた会話体の部分についても、それらのものは皆実際にあったことである。ただそれらはそれぞれの時と場所を異にしていたという事にすぎない。それでここでは記述のうえの都合からそれを同じ時と場所に於て起った事象の如くに取扱かったのである。
 私らの仲間はいつも集る度ごとに「山」について語った。それはいろいろのことを含んでいた。それは山登りのうえのプラクティシュなことを話したと同時に、また或る時には山登りのうえのメタフィジィークについても大いに語り合ったことがある。私らは若い、だからそんな時には、夢中になって、さもえらそうに、いろいろのことをしゃべった。それ故そこにはあるいは青年の純情とも言いつべきものがあるかもしれない。確かにその時どきのある一個の事象に対しては幼稚なまでに直路《ひいぶる》なライデンシャフトを持ってたかも知れない。あるいはこの後、ずっと[#「ずっと」に傍点]時が経ってから顧みる時は、そこに恐ろしく生真面目な、空元気のある、深刻さがあった。そしてやや滑稽な空気が漂っていたのを認めざるを得ないかも知れない。しかしそれはどうでも自分にはいいことだ。人間は常に歩んでいるものだと私はおもう。昨日も今日とは同じきものではないかも知れない。だからその時と現在との間にどんな深いけじめ[#「けじめ」に傍点]があろうと、どんな遥かな隔りがあろうと、それはなんでもないことだ。私らは私らのある時期の「想い出」ともなろうかと思って、こんなことをそこから「ありのままに」何の飾りもなく何の粧《よそお》いもなくひき抜いてきたのである。だからそこにはあるいは愚かしい私らの考えの一端があるかも知れない。けれどこの私の文はその内容を以って目的とはしていないのだ。それは愚かな、また誤った考えでもあったであろう。しかし私は敢て言っておこう。私をしてこの文を成さしめた力は、すべて青春を駆って山を登るうえの真の一路に向わしめるその力によって、わが掌《て》に把握し得たものの一断片をここに投げ出すのだということに於て存したのである。つまらないよけいなことだが敢て附記した次第である。
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底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年11月14日第1刷発行
   2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「登高行 第五年」
   1924(大正13)年12月
初出:「登高行 第五年」
   1924(大正13)年12月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
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