かれ、矢玉の雨に砕かれて異域の鬼となッてしまッた口惜《くちお》しさはどれほどだろうか。死んでも誰にも祭られず……故郷では影膳《かげぜん》をすえて待ッている人もあろうに……「ふる郷《さと》に今宵《こよひ》ばかりの命とも知らでや人のわれをまつらむ」……露の底の松虫もろとも空《むな》しく怨《うら》みに咽《むせ》んでいる。それならそれが生きていた内は栄華をしていたか。なかなかそうばかりでもない世が戦国だものを。武士は例外だが。ただの百姓や商人《あきゅうど》など鋤鍬《すきくわ》や帳面のほかはあまり手に取ッたこともないものが「サア軍だ」と駆《か》り集められては親兄弟には涙の水杯で暇乞《いとまご》い。「しかたがない。これ、忰《せがれ》。死人の首でも取ッてごまかして功名しろ」と腰に弓を張る親父《おやじ》が水鼻を垂《た》らして軍略を皆伝すれば、「あぶなかッたら人の後に隠れてなるたけ早く逃げるがいいよ」と兜《かぶと》の緒を緊《し》めてくれる母親が涙を噛《か》み交《ま》ぜて忠告する。ても耳の底に残るように懐《なつ》かしい声、目の奥に止《とど》まるほどに眤《した》しい顔をば「さようならば」の一言で聞き捨て、見捨て、さて陣鉦《じんがね》や太鼓に急《せ》き立てられて修羅《しゅら》の街《ちまた》へ出かければ、山奥の青苔《あおごけ》が褥《しとね》となッたり、河岸《かし》の小砂利が襖《ふすま》となッたり、その内に……敵が……そら、太鼓が……右左に大将の下知が……そこで命がなくなッて、跡は野原でこのありさまだ。死ぬ時にはさぞ※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いたろう,さぞ死ぬまいと歯をくいしばッたろう。血は流れて草の色を変えている。魂もまた身体から居どころを変えている。切り裂かれた疵口《きずぐち》からは怨めしそうに臓腑《ぞうふ》が這《は》い出して、その上には敵の余類か、金《こがね》づくり、薄金《うすがね》の鎧《よろい》をつけた蝿《はえ》将軍が陣取ッている。はや乾いた眼の玉の池の中には蛆《うじ》大将が勢揃《せいぞろ》え。勢いよく吹くのは野分《のわき》の横風……変則の匂《にお》い嚢《ぶくろ》……血腥《ちなまぐさ》い。
はや下※[#「日+甫」、第3水準1−85−29]《ななつさがり》だろう、日は函根《はこね》の山の端《は》に近寄ッて儀式とおり茜色《あかねいろ》の光線を吐き始めると末野は
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