見える。そのすこし前までは白菊を摺箔《すりはく》にした上衣を着ていたが、今はそれを脱いでただ蒲《がま》の薄綿が透いて見える葛《くず》の衣物《きもの》ばかりでいる。
 これと対《むか》い合ッているのは四十前後の老女で、これも着物は葛だが柿染めの古ぼけたので、どうしたのか砥粉《とのこ》に塗《まみ》れている。顔形、それは老若の違いこそはあるが、ほとほと前の婦人と瓜二《うりふた》つで……ちと軽卒な判断だが、だからこの二人は多分|母子《おやこ》だろう。
 二人とも何やら浮かぬ顔色で今までの談話《はなし》が途切れたような体であッたが、しばらくして老女はきッと思いついた体で傍の匕首《あいくち》を手に取り上げ、
「忍藻《おしも》、和女《おこと》の物思いも道理《ことわり》じゃが……この母とていとう心にはかかるが……さりとて、こやそのように、忍藻|太息《といき》吐《つ》くようでは、太息のみ吐いておるようでは武士《もののふ》……実《まこと》よ、世良田三郎の刀禰《とね》の内君には……聞けよ、この母の言葉を,見よ、この母の衣《きぬ》を。和女はよも忘れはせまい、和女には実《まこと》の親、おれには実の夫のあの民部の刀禰がこたび二の君の軍に加わッて、あッぱれ世を元弘の昔に復《かえ》す忠義の中に入ろうとて、世良田の刀禰もろとも門出した時、おれは、こや忍藻、おれは何して何言うたぞ。おれが手ずから本磨《ほんと》ぎに磨ぎ上げた南部鉄の矢の根を五十筋、おのおのへ二十五筋、のう門出の祝いと差し出して、忍藻聞けよ――『二方の中のどなたでも前櫓で敵を引き受けなさるならこの矢の根に鼻油引いて、兜の金具の目ぼしいを附けおるを打ち止めなされよ。また殿《しんがり》で敵に向いなさるなら、鹿毛《かげ》か、葦毛《あしげ》か、月毛か、栗毛か、馬の太く逞《たくま》しきに騎《の》った大将を打ち取りなされよ。婦人《おなご》の甲斐《かい》なさ、それよ忠義の志ばかりでおじゃるわ』とこの眼《まなこ》から張り切りょうずる涙を押えて……おおおれは今泣いてはいぬぞ、忍藻……おれも武士《もののふ》の妻あだに夫を励まし、聟《むこ》を急《せ》いたぞ。そを和女、忍藻も見ておじゃったろうぞのう。武士の妻のこころばえはかほどのうてはならぬわ。さればこそ今日までも休まず、夫と聟とは家にはおらぬが、おれが矢の根を日々磨ぎ澄まして、おなじ忠義の刀禰たちに与うるのじ
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