\呑み尽《つく》し、始めて如来禅を覚了すれば万行体中に円《まど》かなり。 (天知子)
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と説くに至つては個人全く死せる也。個人の品位を認識せざる也。
(二)事業を賤《いや》しむこと、吾人は信ず時《タイム》を離れて永遠《ヱタルニチー》なし、事業を離れて修徳なしと。時は即ち永遠の一部に非ずや、事業は即ち修徳の一部に非ずや、永遠の為めに現時を賤しむ者、修徳の為めに事業を軽んずる者は是れ矛盾《パラドッキシカル》の論法也。昔しは朱子理気の学を以て一代の儒宗たりしかども、猶且当世の務を論ずることを忘れざりき。今日の為めにする即ち永遠の為めにする也、己れの目前に置かれたる事業を喜んで為す、是れ修徳也。所謂善人善を為す惟日も足らざる者、一日の中には一日の事ある者是也、之れを思はずして、徒《いたづ》らに事業を賤しみ、之を俗人の事となし、超然として物外に※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《しやうやう》せんとするに至つては抑《そもそ》も亦名教の賊に非ずや。
透谷氏芭蕉池辺明月の什《じふ》を論じて曰く
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彼れは実を忘れたる也、彼れは人間を離れたる也、彼れは肉を脱したる也、実を忘れ、肉を脱し、人間を離れて、何処《いづこ》にか去れる、杜鵑《とけん》の行衛は問ふことを止めよ、天涯高く飛び去りて絶対的の物即ち理想《アイデアル》にまで達したる也。
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彼れが富嶽の詩神を思ふの文は愈《いよ/\》奇也、曰く
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寤果して寤か、寐果して寐か、我是を凝ふ、深山夜に入りて籟あり、人間昼に於て声なき事多し、寤《さ》むる時人真に寤めず、寐《ね》る時往々にして至楽の境にあり、身躰四肢必らずしも人間の運作《うんさく》を示すにあらず、別に人間大に施為する所あり、ひそかに思ふ終に寤ざるもの真の寤か、終に寐せざるもの真の寐か、此境に達するは人間の容易《たや》すく企つる能はざる所なり。
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何ぞ其言の飄逸《へういつ》として捕捉すべからざるが如くなるや。世の礼法君子は蝨《しらみ》の褌に処する如しと曰ひし阮籍も蓋《けだ》し斯の如きに過ぎざりしなるべし、梁川星巌芭蕉を詠じて曰く
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僅十七字宛天工、能写[#二]人情[#一]近[#二]国風[#
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