呼んだ。信長を後世総見院殿と称するは此時からである。
 中原《ちゅうげん》に在って勢威隆々たる秀吉を望み見て、心中甚だ穏かでないのは勝家である。嘗《か》つて諸将の上席であった自分も、この有様だと、ついには一田舎諸侯に過ぎなくなるであろう、――秀吉の擡頭《たいとう》に不満なる者は次第に勝家を中心に集ることになる。滝川一益もその反対派の一人であるが、この男が勝家の短慮を鎮《しず》めて献策した。即ち、寒冷の候に近い今、戦争をやるのは不利である。越前は北国であるから、十一月初旬から翌年の三月頃までは雪が深い。故に軍馬の往来に難儀である時候を避けて、雪どけの水流るる頃、大軍を南下せしむべし、と云うのである。勝家喜び同心して、家臣小島若狭守、中村|文荷斎《ぶんかさい》をして、前田利家、金森|長近《ながちか》、不破彦三を招き寄せた。勝家の云うよう、「某《それがし》とかく秀吉と不和である為に、世上では、今にも合戦が始るかの様に騒いで穏かでない。今後は秀吉と和し、相共に天下の無事を計りたい考であるから、よろしく御取なしを乞う」と。前田等|尤《もっとも》千万なる志であるとして、途中長浜の伊賀守勝豊をも同道
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