て心静かに、形勢を観望した。しかし間もなく、勝家に次ぐ名望家、丹羽長秀の言葉が紛糾の一座を決定に導いた。長秀曰く、子を立てるとしたら此場合、信雄信孝両公の孰《いず》れを推すかは頗《すこぶ》る問題となるから、それより秀吉の言の如く、嫡孫の三法師殿を立てるのが一番大義名分に応《かな》って居るように思われる。其上、今度主君の仇《あだ》を討った功労者は、秀吉である、只今の場合、先ず聴くべきは先君の敵《かたき》を打った功労の者の言ではあるまいか、と。――戦国の習い、百の弁舌より一つの武功である。議すでに決し、柴田、丹羽、池田、羽柴の四将は、各々役人を京に置き、天下の事を処断する事となった。この清洲会議の席上で、勝家が、秀吉を刺さんことを勧めたと云う話や、秀吉発言の際、勝家声を荒らげて、己れの意に逆うことを責め、幼君を立てて天下を窺う所存かと罵《ののし》り、更に信雄等が奥へ引退いた後、衆を憚《はばか》らず枕を持ち来らしめ、寝ながら万事を相談し、酒宴になるや秀吉は上方《かみがた》の者で華奢《きゃしゃ》風流なれど、我は北国の野人であると皮肉って、梅漬を実ながら十四五喰い、大どんぶり酒をあおり、大鼾《お
前へ 次へ
全32ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング