である。前田利家父子は二千騎をもって備えて居たが、敗軍と見るや、華々しい働きもなく早速に府中に引取った。利家の出陣は、別段、勝家の家臣であるからでもなく、ただ境を接するの故をもってであり、且つ秀吉とは寧ろ仲が善かった位であるから、体のいい中立を持したわけである。此合戦に先んじて、秀吉利家の間にある種の協定さえあったと思われるのである。丹羽長秀、これを見て時分はよしと諸砦《しょさい》に突出を命じた。北国勢全く潰《つい》えて、北へ西へと落ちて行った。小原新七等七八騎で、盛政等を落延びさせんと、小高き処で、追い来る秀吉勢を突落して防いで居るのを、伊木半七真先に進んで、ついに小原等を退けた。
此時の合戦に、両加藤、糟屋、福島、片桐、平野、脇坂七人の働きは抜群であったので、秀吉賞して各々に感状を授け、数百石|宛《ずつ》の知行であったのを、同列に三千石に昇らしめた。これが有名な賤ヶ岳七本槍である。石川兵助、伊木半七、桜井左吉三人の働きも、七本槍に劣らなかったので、三振の太刀と称して、重賞あったと伝わって居る。
さて北軍の総大将勝家は、今市《いまいち》の北狐塚に陣して居たのであるが、盛政の敗軍伝
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