い出話をした事がある。「金の脇立物、朱漆《しゅうるし》の具足の士と槍を合せたが、その武者振見事であった」と語った処が、その武者が主人の河内であることが判り、互に奇遇を嘆じたと云う話がある。中学の教科書などに出ている話である。それはとにかく、盛政の軍は、拝郷、青木等の働きで何とか退軍を続けて居た。暁暗の四時過ぎ、秀吉は猿ヶ馬場に床几を置かせ、腰打かけて指揮を執って居た。さて、安井左近大夫、原彦次郎等もようよう引退いて、盛政と一手になったので、盛政少し力を得て、清水谷の峠へ退いて備を立直そうとしたが、秀吉の軍は矢鉄砲を打って追かけるので、備を直す暇もなく崩れた。彦次郎左近大夫二人は、一町毎に鉄砲の者十人、射手五六人|宛《ずつ》伏せて、二人代る代るに殿《しんがり》して退こうとするが、秀吉先手の兵が忽ちに慕い寄るので、鉄砲を放つ暇《いとま》もない。止むなく、飯之浦《いいのうら》に踏み止まろうとした。加藤虎之助、桜井左吉進み出て、盛政の陣立《じんだて》直らぬうちに破らん事を秀吉に乞うた。秀吉笑って許さず、馬印を盛政勢の背後の山に立置く様に命じて置いて、菓子を喰い茶を飲んで悠々たるものである。柴田
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