出た籤によって、一藩の態度を決しようではないか、というのであった。
 議論に疲れていた――また心のうちでは、帰趨に迷うていた――多くの藩士たちは、挙《こぞ》ってその説に賛成した。
 こうして、籤は作られた。発案者の酒井が選ばれて、籤を引いた。引かれた籤は東下の籤であった。東下の籤が出た以上、恭順論者も諦めてそれに従う外はなかった。
 藩老たちは、一藩の士卒を城中に呼び集めて、評定の経過を語った後、関東へ発足するについての用意を命じた。命じられた藩士たちは、家財を取り片づけ、妻子を、縁故縁故を辿って、城下の町、在の百姓に預けるなど、一藩は激しい混乱に陥った。
 が、そこに思わざる反対が起った。それは、お目見得以下の軽輩の士が一致しての言い分であった。彼らは太平の世には、上士たちの命令を唯々諾々としてきいていた。が、一藩が危急に瀕すると、そこに階級の区別はだんだん薄れていた。階級が物をいわずして数が物をいうのであった。三百名に近い下士たちは、足軽組頭矢田半左衛門、大塚九兵衛を筆頭として、東下論に反対した。彼らの言い分はかなり筋道が通っていた。
 関東へ下るということは、将軍家及び藩主|定敬《さだたか》公と協力して官軍に当るというのであるが、しかし将軍家が必ず官軍に反抗するとは決っていない。否、将軍家も定敬公も、錦旗の旗影《はたかげ》を見られると、すぐ恭順せられるかもしれない。もし、そうした場合には、我々が捨てぬでもよい城を捨てて関東へ下ったことは、全然徒労になる。その上、そこまで官軍に反抗するとなると、藩祖楽翁公が禁裡御造営に尽された功績も、また近く数年|禁闕《きんけつ》を守護して、朝廷に恪勤を尽した忠誠も、没却されてしまうばかりでなく、どんな厳罰に処せられて、当家の祭祀が絶えてしまうようなことがないとも限らない。そうした危険を冒すよりも、今日《こんにち》の場合は、一日も早く朝廷に謝罪恭順して、桑名松平家の社稷《しゃしょく》を全うすることが、何より大切である。それには、当家には先代の御子の万之助様がある。当主|定敬《さだたか》公は、美濃高須藩からの御養子であるが、万之助様は、当家の正統である。定敬公が、禁闕に発砲して、朝敵の悪名を被《き》ていられる以上、万之助様を擁立して、どこまでも朝廷に恭順の誠を表するのが得策であるというのである。
 藩士たちは、武士の面目の上から、東下を潔しとし、恭順を斥《しりぞ》けていたものの、心のうちでは、皆差し迫る妻子との別離を悲しみ、住み馴れた安住の地を離れて、生還の期しがたい旅に出る不安に囚われ、銘々心のうちでは、二の足を踏んでいたのであるから、多くの藩士たちは、口には出さないが、下士たちの絶対恭順論に心を傾けずにはいなかった。神籤《みくじ》のために、嫌々ながら、東下論に従っていた恭順論者は、再び自説を主張し始めた。かくて、一藩はまたもや激しい混乱に陥った。
 東下論の主張者である酒井孫八郎、杉山弘枝はおどろいて、下士たちの鎮撫方を、政治奉行の小森、山本に交渉した。二人は、彼ら自身恭順論者でありながら、必死に下士たちを宥《なだ》めて、籤に当って決った藩論に従わしめようと焦った。が、下士たちはその主張を固守して、一歩も退《ひ》かなかった。一方東下論者の酒井、杉山は、神籤によって決った東下を、明日にも実行しようと迫った。政治奉行の小森と山本とは、東下論者と下士たちの板挟みになって、下士たちの鎮撫不能の責任を負うて、城中で屠腹してしまった。それは十二日の午前であった。
 二人の死を、転機としたように――二人の死をまったくの犬死にするように、下士たちの恭順論は、いつの間にか藩論を征服していた。東下論者は、声を潜めてしまった。
 藩老たちは、同夜左のごとき、一書を尾州藩へ送って、朝廷へ帰順の取成しを、嘆願したのである。

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今般大阪表の始末|柄《がら》、在所表へ相聞え、深奉恐入候に付き上下一同謹慎|罷在《まかりあり》候。抑も尊王の大義は兼て厚く相心得罷在候処|不図《はからず》も、今日の形勢に立至り候段、恐惶嘆願の外無御座候。何卒《なにとぞ》平生の心事御了解被成下大納言様御手筋を以乍恐朝廷へ御取成寛大の御汰沙|只管奉歎願誠恐誠惶《ひたすらせいきょうせいこうたんがんたてまつる》 謹言
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酒井孫八郎
吉村又右衛門
沢|采女《うぬめ》
三輪権右衛門
大関五兵衛
服部|石見《いわみ》
松平|帯刀《たてわき》
[#ここで字上げ終わり]
[#天から4字下げ]成瀬|隼人正《はいとのしょう》様

 次いで、同月十八日、官軍の先鋒が鈴鹿を越えたという報をきくと、同文の嘆願書を隣藩亀山藩へ送った。
 二十一日、鎮撫使から御汰沙の手控えが、亀山藩の手を通して
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