、石榑《いしぐれ》という山村があった。山から石灰石を産するので、石灰を焼く窯《かま》が、山の中にいくつも散在した。一隊がこの村に達したとき、村人の一人は、この石灰を焼く窯の一つに武士体の男が二、三日来潜んでいることを告げた。それをきいた一隊の人々は、勇み立った。彼らは庄屋に案内させて、その窯を右と左から取り囲んだ。
火のない窯の中からおどろいて飛び出したのは、格之介であった。彼は自分の家の若党の実家を頼って、人目に遠い山中の窯の中に、かくまわれていたのであった。彼は官兵を見ると狼狽した。捕えられることは、彼にとっては死を意味していた。彼は、身を翻して、窯の背後《うしろ》の、二間ばかりの谷を飛び越えると、雑木の生い茂った山の中腹へ、逃げ込もうとした。
「えい! まだ逃げおる! 未練なやつじゃ、射て! 射て! かまわぬ、射て!」
隊長は苛って叫んだ。
二、三人の兵士が、新式のゲーベル銃で折敷の構えをした。激しい銃声が、山村の静かな空気を動かした。格之介のやせた細長い身体が、雑木の幹の間でくるくる回ったかと思うと、仰向《あおむけ》ざまに倒れたまま、動かなかった。
越えて数日、海蔵川原に並んで立っていた五つの獄門台から、赤報隊の元凶たちの首級《しるし》は取り捨てられていた。そしてその後《あと》、代りに、その中央の獄門台に、若い武士の首級が一つ晒されていた。
捨札には達筆で、次のように書いてあった。
[#地から1字上げ]桑名藩 新谷格之介
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右者京畿ニ於テ錦旗ニ発砲シタルニ依ツテ羽津光明寺ニ謹慎仰付候ニモ拘ラズ潜カニ脱走ヲ企テ江戸ニ下向再ビ錦旗ニ抵抗致サントシタル段重々不埒至極依テ銃殺ノ上梟首スルモノナリ
戊辰二月
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]官軍参謀
格之介を除いた十二人の人々は、その年の四月、なんのお咎めもなく無事に帰藩を許された。
格之介の逃亡の理由が分かるにつれ、桑名藩士も官軍の人たちも、格之介が風声鶴唳《ふうせいかくれい》におどろいて逃走を企て、捨てぬでもよい命を捨てたことを冷笑した。
が、どうして格之介をわらうことができよう。彼は確かに、自分の首が載る獄門台が作られるのを見ていたのである。
底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:大野 晋
2000年8月26日公開
2005年10月14日修正
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