理由は、少しも考えられなかった。死は、ただ時の問題として、彼の前に迫ってきた。彼も、どうにかして死を待ち受ける準備をしなければならなかった。
 獄門台が、すっかりでき上って、その気味の悪い格好をずらりと地上に並べている時だった。燃ゆる赤熊《しゃぐま》の帽子を着た鳥取藩の士官が空地へ現れた。士官が、何か合図すると、大工たちは一つの獄門台を、三人で担ぎながら、寺の方へ近づいて来た。何をするのかと思っていると、寺の板塀の上に、獄門台の板が、ぬっと現れた。見ると、今までは気がつかなかったが、板のちょうど中央に、死首を突きさす釘が打ってあって、それが夕日の光を受けて、きらきらと光っているのだった。
 それを見ると、宇多熊太郎は、縁側の板を踏み鳴らしながら怒った。
「ああ、あんないやなことをしやがる。あんな嫌がらせをする!」
 が、怒り得るものは幸いだった。格之介は、それを見ると、恥も見栄もなく、身体ががたがたと震え出した。
 五つの獄門台は、次々に塀に立てかけられた。真新しい材木が、古い板塀の上にまざまざと夕日の中に浮んでいる。
「ああ残念! 諸君、こんな汚らわしいものを見ていないで、障子を閉めようではござらぬか。武士たるものを、罪人同様に辱めおる。ああ、こうと知ったら、匕首《あいくち》の一本ぐらい隠しておるところであった」
 宇多熊太郎は、忌々《いまいま》しそうに舌打ちした。
 みんなは、部屋に入って、障子を閉めた。が、格之介には、障子越しに五つ並んだ獄門台がありありと見えた。
 それきり、夕食の時まで、誰も一口も口をきかなかった。
 夕食の膳が出ると、築麻市左衛門は、所化《しょけ》の僧に酒を所望した。
「各々方、今夜はお別れでござる。我々に無礼を働く鳥取藩士への面当《つらあて》に、明日は潔い最期を心掛けようではござらぬか。各々方が、平生の覚悟を拝見しとうござる」
 十二人までは、さすがに悪びれたところはなかった。杯が、しめやかに回った。
 が、格之介は、飯も咽喉《のど》へは通らなかった。一杯食った飯が、もどしそうにいつまでも胸に支《つか》えていた。
 彼はどうしても死ぬ気にはなれなかった。切羽詰まって死ぬにしても、もう一度妻の顔が見たかった。もう一度妻と――妻と最後の名残を惜しみたかった。が、妻などということを考えないでも、死そのものが、どうしても嫌だった。彼は、どうにかして死にたくなかった。まして、殺された後に、自分の首が獄門台に晒されることを考えると、どんなことをしても死を免がれたかった。もう、とっぷりと暮れてしまった障子の外の闇のかなたに、白木の獄門台が、ずらりと並んでいることを考えると、水のような寒気《さむけ》が全身を流れるのであった。
 そのあくる朝、桑名の藩士たちは銘々、覚悟を決めて床を離れた。が、起き出《い》でたものは、十三人ではなかった。格之介は、夜のうちに警護の者の目を盗んで逃亡してしまっていたのである。

          五

「臆病者! 卑怯者!」
 十二人は、口々に格之介を罵《ののし》った。が、中には、うまく逃亡した格之介に対する心のうちの羨望をそうした言葉で現しているものもあった。
 築麻市左衛門から、格之介逃亡の旨を、警護の鳥取藩士に申し出でた。さすがに、その推定された逃亡の理由まではいわなかった。敵《かたき》となっている他藩の人に対し、同藩の者を臆病者にはしたくなかったからである。
「有様《ありよう》は、関東へ下って、慶喜《よしのぶ》公の麾下《きか》に加わって、一働きいたそうとの所存と見え申す」
 市左衛門は、格之介逃亡の理由を、こう説明した。
 それをきいた鳥取藩の隊長は、苦い顔をした。
「それは近頃、心外なことじゃ。武士は敵味方に別れても相身互いじゃと存じたによって、かほどまで寛大な取扱いをいたしたのは、われらが寸志じゃに、それが各々方に分からなかったとは心外千万じゃ。いや、ようござる! 鎮撫使から預った大事な囚人を逃したとあっては、拙藩の恥辱でござるほどに、草を分けても探し出す所存でござる。各々方を信用したのが、拙者の不覚でござる」
 隊長は、かなり憤慨して、開き直った。
 市左衛門も、相手から寛大な取扱いという言葉をきくと、むっとした。武士たるものに、汚らわしい刑具を見せつけて侮辱を与えておきながら、よくもそんなしらじらしいことがいえると思った。
「ふむ! あれで寛大な取扱いと申さるるか」
 彼は、吐き出すようにいった。
「いかにも」隊長は、屹《きっ》となって答えた。「拙者の計いで、各々方に、かほど自由を与えてござるのが分からないのか。錦旗に発砲した朝敵じゃほどに、手枷《てかせ》をかけても言い分はないはずじゃ。それを立ち居も、各々方の随意にさせてある。番兵も付けず、看視もいたさないのは、なん
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