士はもうとっくに、俺の脚本のことなどは忘れてしまったと見え、たまたま俺に言葉を掛けることなどがあっても、脚本のことはおくびにも出さなかった。が、今度山野のところへ作品を送るとしても、いちばんまとまっているものは「夜の脅威」であった。考えてみれば、俺は発表のことばかりに気を取られて、本質的の創作にはまったく呑気《のんき》であったのだ。黙々として、千五百枚の大作にかかっている佐竹君のことを考えると、かなり恥かしく思う。
中田博士は、いつものように在宅した。俺が来意を述べると、
「そうそう、君の脚本を預かっていたっけ」と、いいながら立って、書棚の一隅を探ってくれた。そして、おそらく俺が持ってきた時のままらしい俺の脚本を、取り出してくれた。俺は、それでも「夜の脅威」という表題を見ると、旧知にあったように懐しく思った。俺がこの三、四カ月間、焦慮に焦慮を重ねている間にも、俺の作品は中田博士の書棚の一隅で、悠々たる閑日月を送っていたのだった。「いよいよ発表することになったのですか。それは結構です。活字になった上で、まとまった批評をしましょう」とお世辞をいってくれた。俺は中田博士の、極度に無関心な態
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